守屋:それで思い出した例があります。私は企業研修で『貞観政要』を取り上げて、諫言の話をするとき、最後に「無理に諫言するのはやめましょう」と付け加えるんです。社長にダメなところを指摘したら、飛ばされてしまった社長候補を2人知っているからです。ところがある時、「私はその考え方に反対です」と言う受講生がいました。自分が上の人間に諫言しないのに、下の人間から自分に諫言せよというのは通用しないからだと。立派な方がいるな、と本当に感心しましたが、同時に、諫言しても飛ばされては会社にとっても本人にとっても意味がないので、「自分の身を守ることと両立してくださいね」とお伝えしました。こうしたトレードオフをいかに両立するかが、中国古典の大きなテーマの一つですね。
田久保:明治維新では、封建社会が崩壊し、武士の方には受け止めきれないことが起こりました。そこでうまく折り合いをつけていくのは、当時の人の胆識や見識だと思います。それはどうやって養われたと思われますか。
守屋:渋沢財団の学芸員が見学者から「渋沢栄一の学歴は?」と質問されて、「何もありません」と答えたそうです。そのとおりで、本で取り上げた人物はみんな現代的な意味での学歴はないけれども、その多くが中国古典的なものを学んできた。その中核にあるのが、田久保さんがご専門の「志」です。どのような激動の時代でも、最終的に「自分はこうしたい」「社会をこうしたい」というポイントを目指して進めていく。かつ、それが多くの人に共有されるものであれば、協力者がいくらでも出てくるのだと思います。
自分の成長と後進の育成という葛藤
田久保:守屋先生の本を読んで一番印象に残った人物が大倉喜八郎です。自分の能力の限界にチャレンジすることにフォーカスしたが故に、結果的に周りの人が育たず、いろいろなものが失われた。それはそれで起業家の1つの志の貫き方ですが、すごく心配なこともあります。今、多くの日本の経営者はよく「後継者が心配だ」とおっしゃいます。渋沢栄一や岩崎弥太郎のように自分の後に続く人を真剣に育てないと、いずれ尻すぼみになる。そこが大倉喜八郎の例と重なりました。

