当時、塩は「塩専売法」という法律のもと、国が管理しており、民間企業が自由に塩をつくって販売することができなかった。しかし、そんな現状に疑問を投げかける人々が現れた。愛媛県の消費者、菅本フジ子さんを始めとした5人の創業メンバーだ。
彼女らは効率優先の塩作りと国民に塩を選ぶ権利がないことに疑問を呈し、塩田存続を国へ陳情するために消費者運動を起こす。活動は全国に広まり、短期間で5万人もの署名を集めた。結果、“条件付き”で、塩の製造委託の認可が与えられた。
その条件とは、当時、国が輸入していた天日塩を使うことに加え、熱効率の悪い平釜で塩作りをすることだった。その条件下で安全性が高く、海水のにがりを含んだ美味しい塩を作るべく、輸入した天日塩を伯方島の地下水で溶解して、沈殿・ろ過したきれいな濃い塩水にし、それを煮詰めて塩にするという伯方の塩の基本的な製法が生み出された。
次なる関門は、工場建設や設備導入のための資金集めだった。
「一口10万円、無担保無保証、塩による出世払い」で資金集め
「製塩はそもそも国の事業で、認可を得たとしてもビジネスとして成立するかどうか未知であったため、銀行も融資してくれない」(石丸社長)という状況。そこで署名に協力してくれた方々や消費者団体に声をかけて、一口10万円、無担保無保証、塩による出世払いという条件で資金を集め、伯方塩業の母体が生まれたという。
現在ならクラウドファンディングと呼ばれるだろう。だが1973年当時、そんな言葉はまだない。消費者たちは、自らの理想の塩のために資金を出したのだ。
この背景を見ればわかるとおり、伯方塩業は、塩を「調味料」とは見ていない。安心・安全で、生きていく上で欠かすことができない「基本食糧」として考え、今もそううたい続けている。
創業当時から、工場内部は一般の人が実際に入って見られるようにオープンにしている。原料・製法・工程を包み隠さず見せ、安全性を納得してもらい、世に出す――これは、よほどの自信がないとできないことだ。
今では、生産拠点は伯方島の隣にある大三島の工場に移ったが、ここでも見学の受け入れを続けている。工場入口の左右には、塩メーカーらしく、お客様とのご塩(縁)を結ぶため、合計4kgの塩を使った巨大な「盛り塩」が、ど~ん!と出迎える。
近年の減塩志向、人口減少、簡便調味料の台頭などを考えると、コンセプトショップや飲食店の展開は、消費者と「塩」をつなぐ接点であり、消費者の声から誕生した創業の原点とも言える。
「工場見学も、駅のコンセプトショップも、空港のスタンドバーも、すべては、『塩』は『食糧』であるという理念を伝えるため。今後も弊社はその方針で、安心・安全で美味しい塩を売っていきたいと思います」(石丸社長)
伝統の塩を守るためのクラウドファンディングのような形式で生まれた伯方塩業。消費者運動から生まれた企業が、半世紀を経て再び消費者と向き合おうとしている。

