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ライフ #廃墟モールの経済学

「核テナントが3つとも消滅」「運営元も耐えきれず経営破綻」…茨城・千葉の県境で「2つの廃墟モール」誕生の残酷背景

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茨城県潮来市の「アイモア」
茨城県・千葉県の県境に2つの廃墟モールが生まれたのはなぜ?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
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デベロッパーは地元資本の小見川エスシー。ショッピングセンターの総合開発指導をしている日本マネジメントエージェンシーが開発を指導した。

核テナントには、スーパーのマルエツ、ホームセンターのケーヨー、衣料量販店の亀宗の3店舗が入った。3核ショッピングセンターは日本初で、ワンフロアに3つの核テナントを集めた新しいタイプのショッピングセンターといわれていた。他に専門店が約30店舗出店。マルエツは初のショッピングセンター出店であった。

核テナントが3つとも消えた

オープン2年目の1993年5月時点で「小見川アピオ」の売り上げは前年を上回っており、好調な滑り出しだったことがうかがえる。

「千葉県商圏調査報告書」によると、佐原市の小見川町からの衣料品吸引率は、「小見川アピオ」がオープンした1991年度時点で38.8%だったが、1994年度には23.4%、1998年度には16.7%にまで減少した。つまり、小見川町からしてみれば佐原市への消費流出を食い止めることができたと読み取れる。

だからといって、小見川町の商業が安泰だったわけではない。小見川町の衣料品購入は茨城県へ流出していた。衣料品の小見川町から茨城県への流出率は、1994年度の8.8%から1998年度には17.1%に増加している。

茨城県には「小見川アピオ」から車で10〜15分のところに、「アイモア」のほか、「ジャスコ神栖店」(茨城県神栖町/1981年オープン)、「サンポートかしま」(茨城県鹿島町/1981年)、「神栖ピアタウン」(茨城県神栖町/1986年)など競合がひしめいていた(※地名はいずれも開業当時)。

たとえば、「神栖ピアタウン」はスーパーのカスミ、衣料品のカスミアルファ、ホームセンター、専門店街が出店しており、「小見川アピオ」とラインナップが重なっていた。「神栖ピアタウン」は半径10kmを商圏としており、「小見川アピオ」はその円の中に含まれている。実際に「神栖ピアタウン」の来店客のうち、7.5%を小見川からの来店が占めていたという(『食品産業』1990年11月)。

1998年になると、「小見川アピオ」の核テナントの一つである亀宗が経営破綻により退店した。2000年にはケーヨーとマルエツも閉店してしまった。

核テナントが1店舗抜けただけでも大打撃を受けるのに、これほど立て続けに撤退した影響は計り知れない。日本初の3核SCから、核が1つもなくなった。跡地には2001年7月に三膳市場が出店したが、賃料は以前より著しく低かった。

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