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現物給付が増えると「負担増」という通念にさらされる現代社会保障…「社会保険料が重い」と言う人に知ってもらいたいこと

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今年2月、社会保障国民会議の初会合で発言する日本維新の会の藤田文武共同代表(中央)。左はチームみらいの安野貴博党首(写真:時事)
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繰り返すが、現代の社会保障国家を理解するためには、負担だけではなく、その負担によって何が提供されているのかを合わせて見る必要がある。

では、社会保障の本来の目的である給付の側面を視野に入れた負担と給付の関係についてはどうであろうか。

医療・介護だけで給付の約4割を占めるが、その価値は見えにくい

今の社会保障では、医療や介護、保育といった現物給付の比重が大きい。医療・介護だけでも社会保障給付費の4割を越え、さらに保育などを加えると、社会保障給付の半分近くが現物給付として提供されている。しかし、現物給付は家計に直接振り込まれる所得ではなく、医療や保育などのサービスとして提供されるため、その受益はしばしば意識の外に置かれる。

今年4月2日に開かれた第2回社会保障国民会議では、世帯収入と純負担率〔(負担-給付)/世帯収入〕が公表されていた。ここでいう給付は、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスとの国際比較では現金給付のみがカウントされ、日本については参考値として現物給付が給付として計上されている。

紛らわしいのは、「純負担率」という1つの言葉が、実際には2つのまったく異なる概念を指していることである。すなわち、順負担率①=(負担-現金給付)/世帯収入と、順負担率②=(負担-(現金給付+現物給付))/世帯収入である。①では現物給付は考慮されないが、②では現物給付が計上される。

所得再分配政策が人々の生活にどのように関わるのかは、現物給付を視野に入れた②を用いなければ見えない。なぜなら、医療や介護、保育といった現物給付も、人々の生活水準を支え、上げる重要な給付だからである。

現金給付だけでの国際比較には要注意

しかし、他国の世帯収入階級ごとの現物給付を把握することは難しい。そのため国際比較では、現金給付のみを用いた純負担率が使われているのが常である。だが、それは利用可能なデータの制約によるものであって、現物給付の重要性が低いからではない。

「研究」として、利用可能なデータを用いて分析するしかないという事情は理解できる。しかし測定しやすい現金給付だけを見て「政策」を論じるのであれば、それは鍵を落とした場所ではなく、明るい場所だからという理由だけで街灯の下で鍵を探すようなものである。見つけやすいものだけを教え、見えにくいものを視野の外に置くならば、社会保障の実像を見誤る。

私はこの問題を、今から10年ほど前の『ちょっと気になる社会保障』初版(16年)でも指摘していた。同書では、国民皆保険・皆年金が施行された1961年の翌62 年からおおむね3年に1度実施されている「所得再分配調査」における可処分所得(当初所得−税・社会保険料負担+現金給付)について、医療・介護・保育などの現物給付を視野に入れていない指標であることを説明した。そのうえで、15年当時の経済財政諮問会議が求めていた「可処分所得の目減りを抑制する」という目標は、結果として社会保障の再分配機能そのものを縮小する世論につながっていくだろうと警告していた。

また、社会保障を考察する際には、『所得再分配調査』において現物給付を加えて加算される「再分配所得」を基礎指標とすべきであると論じ続けてもきた。次は、政府税制調査会(24年5月13日)での発言である。

権丈委員:人々の生活水準に関係するのは、当初所得から税・社会保険料を控除して、医療・介護、保育サービスなどの現物給付も含まれた社会保障給付を加算した再分配所得でありまして、当初所得から税・社会保険料を引いた可処分所得や手取りではない。

数年前から「手取りを増やす」という言葉が政治やメディアで繰り返し語られるようになった。もちろん、家計の可処分所得への関心は重要である。しかし、現物給付を視野に入れないまま可処分所得だけを政策目標として掲げれば、人々の目には負担ばかりが映り、社会保障が提供している給付の価値は見えなくなる。

10年以上前から懸念していたのは、その点にあった。

現物給付を含めると違った世界が見えてくる

ところで今回、第2回社会保障国民会議では、現物給付を含めた本来の意味での純負担率②が示された。「夫婦共働き・被雇用者+子ども2人世帯」の場合、給付を現金給付だけで捉えると純負担率がゼロになるのは年収350万円程度である。これに現物給付を加えると、その水準は800万円近くまで上昇する。つまり、現物給付を視野に入れると、「負担ばかりが増えている」という通念のしたで見落とされてきた給付の大きさが浮かび上がり、年収800万円近くまでの世帯は、負担よりも給付の方が大きいことになる。

医療や介護、保育などについては、現金給付よりも現物給付のほうが望ましいと考える人は少なくないだろう。私の嗜好もアトキンソンやピケティに近く、フリードマンよりははるかに現物給付指向である。

しかし、政策効果の観点から現物給付の比重を高めていけば、社会保障は「負担ばかり増えている』という通念にさらされやすくなる。そこに現代社会保障の宿命的なジレンマがある。

現在の社会保障給付費では、医療・介護が4割以上を占める。さらに、保育や障害者福祉などの現物給付を加えると、その割合は5割近くに達する。社会保障給付の半分近くが、現金として目に見える形ではなく、サービスとして提供される「見えない給付」なのである。その結果、人々の目には負担ばかりが映り、「社会保障は負担ばかりが増えている」という通念が形成されやすくなる。

現物給付の多くが給付として認識されにくいことを考えれば、それは国民の実感として理解できる。しかし、専門家までがその通念を再生産し、広める側に回れば、「見えない給付」はますます見えなくなる。

現物給付をのぞいた純負担率①は、「見えない給付」を視野の外に置く通念を強化する。そして、いつもながら、ガルブレイスの言う「通念」はフリードマンに有利に働くことになる。

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