そのため、スイスでは「第二次世界大戦をどう教えるか」という問いが、日本以上に繊細になりやすいのです。ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏では、当然ながら隣接する大国との歴史的距離感も異なります。
しかも、スイス自身は第二次世界大戦で中立を維持した国として知られていますが、その戦時中の振る舞いは、後年になって厳しく再検証されてきました。中立国であったからこそ、むしろ「自国は何をしたのか、何をしなかったのか」が問われてきたのです。
その象徴が、いわゆるベルジエ報告書です。これは、スイスの連邦議会と連邦政府が設置した公的な調査委員会の最終報告書で、第二次世界大戦期のスイスの役割を検証した調査になります。
2002年に最終報告が出されました。報告書は、スイス政府や民間企業のふるまい、とりわけ難民政策、ナチス・ドイツとの協力、補償問題への対応について厳しい評価を下しました。
そして2003年には、この報告書の要約版を14歳から18歳向け教材としてチューリヒ州の学校で使うべきかどうかが議論になりました。賛成派は「若い世代が自国の歴史の光と影の両方を知るべきだ」と主張し、反対派は「負の側面ばかりを強調しすぎている」と批判しました。
ここで見えてくるのは、スイスでは歴史教育が単なる知識伝達ではなく、記憶の政治と隣り合わせだということです。研究でも、スイスの戦時史については歴史家のあいだで一定の学術的理解が共有されていても、政治の場ではなお激しく意見が割れていると指摘されています。
つまり、「国としての統一的な歴史像」が強固にあるわけではなく、教室はそうした論争を完全には避けられない場所になっているのです。
実際にはどう教えているのか?
しかし、だからといってスイスの歴史教育がバラバラで、何でもありになっているわけではありません。2009年には、義務教育の調和化を目指すHarmoS協約が発効し、カントン間の差を縮める取り組みが進みました。
実際、EDK(スイス州教育長会議)も、義務教育はカントンの責任だとしつつ、カリキュラムについては言語圏ごとの調和が進められていると説明しています。フランス語圏には「Plan d’études romand」、ドイツ語圏と多言語カントンには「Lehrplan 21」、ティチーノ州には「Piano di studio」があり、完全な全国一元化ではないにせよ、一定の共通基盤は整備されています。
