だいぶ前ですが、東京の文化センターで「台湾版」を上映すると広告が出たことがあります。見つかったと思って喜んでいたら、結局日本版の間違いだったようです。香港に行ったとき、『金門島にかける橋』がテレビ放送されると聞いて、夜中にわざわざ見たこともありますが、それも日本版でした。
台湾映画に引かれる理由―庶民の姿と、歴史の複雑さ
――川瀬さんが台湾映画に引きつけられる理由は何でしょうか。
ひとつは、台湾の庶民の姿が見えることです。もうひとつは、その時代の社会情勢が見えることです。台湾の歴史は非常に複雑です。映画はフィクションですから、事実そのものではありません。間違っている部分もあるし、脚色もある。しかし、そこに時代の空気や、人々の暮らしが映り込む。
例えば侯孝賢監督の『悲情城市』について、黄春明さんに「あなたは『悲情城市』を見ましたか。わかりましたか」と聞かれたことがあります。私が「わかりました」と答えると、彼は怒り出した。「台湾人の自分が3回か4回見てやっとわかったのに、日本人のあなたが1回でわかるはずがない」と言うのです。
私は、台湾では戒厳令が解除されてから二・二八事件について学ぶようになったけれど、日本では戒厳令の時代でも二・二八事件について自由に話すことができたし、本も出ていたと説明しました。納得したかどうかはわかりませんが、「そうか」とは言っていました。
80年に台湾へ来た頃、台湾の人と日本語で話していて、「なぜ台湾は独立しなかったのでしょうね」と何気なく言ったことがあります。すると相手の顔色が変わり、「やめてください」と言われました。ホテルにもバスにもスパイがいる。日本人の私は連れて行かれても事情を聞かれる程度で済むかもしれないが、台湾人は帰ってこられないかもしれない。そういう時代でした。
李登輝時代になると、街の空気も変わっていきました。以前は警察が四方から取り締まりに入り、逃げ場がなかった。ところが後には、警察が口笛を吹きながら片側から入ってくる。つまり「来たぞ」と知らせて、露天商たちが逃げられるようにする。社会の変化を、私は台湾の街の中で見てきました。
日本人に見てほしい台湾映画
――最後に、日本の読者に見てほしい台湾映画を挙げるなら、どの作品でしょうか。
まずは侯孝賢の『悲情城市』です。二・二八事件という、それまでタブーだった題材に初めて本格的に向き合った映画です。もちろん歴史どおりではない部分もあります。しかし、それを映画で扱うこと自体が大きな挑戦でした。
公開当時、台湾の知人に「見に行きたいけれど怖くて行けない」と言われたことがあります。内容が怖いのではなく、映画館に警察が来て、見ている人が全員捕まるかもしれないという恐怖です。李登輝夫妻が見に行ったことが報じられ、それなら大丈夫だと思って見に行った人もいました。そういう時代に作られた映画です。
次に、同じく侯孝賢の『童年往事』。日本統治時代から国民党時代を生きた世代の、悲しみを含んだ人生が描かれています。台湾では、祖父母と台北から来た孫の言葉が通じず、嫁や息子が通訳に入るようなことが現実にありました。日本語、台湾語、北京語が交差する台湾の歴史がよく出ています。
王童の作品も見てほしい。『バナナ・パラダイス』を含む三部作には、ユーモアがあり、台湾社会の大混乱や国民党と一緒に中国大陸から台湾に来た人々の経験、日本統治時代から戦後への変化が描かれています。王童は台湾へ来た側の人ですが、台湾のことをよく理解している監督だと思います。
それから、呉念真や朱延平、あるいは退役兵(いわゆる「老兵」)を描いた作品にも注目してほしい。「大陸反攻」のかけ声がなお勇ましく響いていた時代、彼ら兵士たちは「英雄」でした。しかし、「反攻」の現実味がしだいに薄れていくにつれ、その存在は社会のなかで次第に周縁へと追いやられていきます。とりわけ下級兵士のなかには、結婚する機会もないまま年老いていった人たちが少なくありませんでした。
彼らの多くには、中国に残してきた両親がいました。すでに結婚していた人であれば、妻や子どもとも離れ離れになったままでした。彼らは、すぐにでも大陸へ反攻し、故郷へ帰ることができると信じていました。けれども、その日は来ませんでした。やがて人生の残り時間は少なくなり、身寄りも仕事もないまま、故郷への思いを抱え、孤独な晩年を送る人も多かった。李祐寧の『老莫的第二個春天』などに描かれる老兵たちの姿には、そうした時代に翻弄された人々の悲哀がにじんでいます。
そうした映画を見ると、二・二八事件、原住民族(※台湾における先住民の正式名称)、戦前から台湾に住んでいた本省人と戦後に中国からやってきた外省人、老兵、日本との関係など、台湾の歴史の多層性が見えてきます。
台湾映画は、単に映画として見るだけではなく、台湾社会を知るための入り口になります。そこに映っているコップの色、街路の形、店のたたずまい、人々の言葉遣い。そうした細部から、台湾の歴史と庶民の姿が見えてくるのです。
