ある日、箱を高く持ち上げた瞬間、肩から「ブチッ」という音がしたかと思うと、突然、腕が上がらなくなった。「このままでは、音楽ができなくなるかもしれない」、そう感じた根本さんは、収穫バイトをやめることに。同じ理由でボイラーの仕事もやめた。
とはいえ、アルバイトの合間に音楽活動もいろいろと試みたものの、食べていけるほどにはならない。時々、登録していた音楽事務所を通して入ってくるリゾートホテルでの仕事も、コロナ禍に入るとなくなってしまった。
こうして移住して4年、時間はあっという間に過ぎていった。
106歳のおばあさん
根本さんの生活を支える仕事となっていたのは介護施設での仕事だった。仕事はどれも精一杯にやっているつもりではいたのだが、心のどこかで、食べるため、仕方がなくやっている仕事と思っていた部分もあった。悶々とした日々を過ごす中、根本さんの気持ちに変化が表れ始めた。
「『やりたくないな』と思いながらやってることが良くないんじゃないかと思って。音楽でやっていけなくなってしまったという今の自分をちゃんと受け入れてみようと思ったんです。そうしたら、今、目の前にある仕事をきちっとやろうという気持ちになれて、『やりたくない』とか不満を言わないで、とにかく一生懸命にやってみようと思えるようになりました」(根本さん)
気持ちを入れ替えてみると、がぜん介護施設での仕事にも力が入る。任されていた仕事の一つに清掃作業があったのだが、その日から、入居者の部屋はもちろん、各部屋のトイレもピカピカになるまで磨き上げるようにした。
するとある日、この施設の1室に暮らす106歳のおばあさんが根本さんを呼び止めた。
「ちょっとあんた、あんたはホントは何をしている人なの?」
おばあさんからの、突然のこの問いかけに根本さんは目が点になり、とっさに答えられなかった。だが、おばあさんは話を続ける。
「いいから、何をしている人なのか、話してごらんなさい」
おばあさんの言葉に促され、根本さんは話し始めた。
「実はわたし、声楽家なんです。東京ではホテルで毎週歌っていたんですけど、こちらに移住してからは仕事がなくて……」
この言葉を聞くやいなや、おばあさんの鋭い声が根本さんに飛んできた。
「あんたはここで掃除している場合じゃない。今すぐこの仕事は辞めなさい!」
