ここまでは、当時18歳の僕でも、なんとなく分かりました。問題は、ここからです。 「で、君はこれについてどう思う?」と聞かれた瞬間に、僕の手は止まりました。
賛成すべきなのか、反対すべきなのか。どんな例を挙げればいいのか。そもそも、自分はこの言葉に本当に共感しているのか、していないのか。
50〜70語というのは、英作文としては決して長くありません。むしろ、ごまかしが利かない長さです。理由を取り繕って並べるには短すぎるし、抽象的なことだけ書いて逃げきるにも足りない。自分の本心と、具体的な経験と、それを支える世界観を、ぎゅっと凝縮して書くしかないのです。そして、僕にはそれが書けませんでした。
何が書けなかったのか
いま振り返って思うのは、僕に欠けていたのは英語力でも国語力でもなかったということです。足りなかったのは、「自分自身を含めた人間が、どれくらい認知バイアスに縛られているか」を、自分の体験として実感しておくことでした。
「人は見たいものしか見ない」と言われて、当時の僕は頭では「そういうこともあるよなあ」と思いました。でも、自分がそういう人間だと、本気では思っていなかったのです。
自分は努力してきた。本も読んできた。だから自分は、ものごとを公平に見られるほうの人間だ──そう信じていました。家族とニュースを見て意見が食い違ったとき、間違っているのはたぶん相手のほうだと思っていました。SNSで自分と違う意見を見ると、なんとなく「この人は分かっていないな」と感じていました。
