岩手県では制度がまだ整っていなかった約60年前、地元の寺の住職が「この子たちの居場所を作りたい」と発願して光林会という社会福祉法人を立ち上げ、児童入所施設から少しずつ事業を広げて始めた。その光林会が07年に開いたのが、花巻市の住宅街のど真ん中、大谷翔平も通った花巻東高校の校門の目の前にある「命のミュージアム るんびにい美術館」だ。
知的障害のある人の作品を常設で見せる施設は当時、全国にわずか3館しかなく、るんびにい美術館はその3館目だった。
地方都市からこうした先駆的な施設が生まれたこと自体が異例で、「障害のある人は人里離れた施設に」という戦後福祉の常識を、街なかから静かに塗り替える試みでもあった。
「るんびにい美術館」との出会いから起業
ヘラルボニー創業者の松田崇弥氏が、自分の好きな「クリエイティブ」と、いつか取り組みたい「福祉」の世界を結びつけたいとモヤモヤしながら盛岡に帰省した15年の夏、このるんびにい美術館を訪れ「こんな近くにものすごい世界が広がっていたのに、どうして気づかなかったのだろう」と衝撃を受けたのがヘラルボニーを起業したきっかけだという。
この当時から2人を知る美術館のアートディレクター・板垣崇志氏は、「何があってもひるんだり逃げたりしないんだなって。不確実なことに向かって挑戦して、それでもなお引き下がらないんだろうなという覚悟のようなものは、最初から伝わってきた」と語る。
板垣氏は初期からヘラルボニーのメンター的な存在となっており「これからいろいろな形のコラボレーションをすることになると思うけれども、作家さんの承認を丁寧に取ってほしい」といったいくつかの重要な指針は同氏が提示したという。
そして、それは今回のIsai Blueの開発においても当然踏襲されている。業界の慣例としては作品を二次利用する場合は著作者人格権の不行使特約を結ぶのが一般的だ。「作者はいっさい文句を言いません。自由に使ってください」という契約である。
だがヘラルボニーは、作家本人・親族・福祉施設の三者確認を毎回挟むちょっと面倒な仕組みを実装している。「こういう企画です。こういうイメージで、こういう場所に設置されます、ここで販売されます」と、作家が納得するまで先に進めない。
もう一つ、板垣氏が初期から願ってきたのは「ヒロイックなわかりやすいストーリーで人を虚像化しないでほしい」ということだった。才能や特別さに帰着させて作家を消費するのではなく、ひとりの人間が生きる価値そのものを世の中に届けてほしい――その指針は、今のヘラルボニーの根幹を支えている。
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【これまでのスマートフォンの進化のあり方に一石を投じる製品】
