両親が峠の手前に建てたドライブインを継ぐと、当時の喫茶店ブームにのり、喫茶店「あじさい」に改装した。客単価は600円から700円。鳴かず飛ばずの日々に、高速道路の開通が追い打ちをかけた。交通量が半分に減ると言われ、なんとかしなければと動いた。銀行には断られたが、常連客の紹介で3000万円の融資を受けることができた。
「貸してくれると言うから借りたけど、どうしていいかわからなかった」と笑う。
店を畳まなかった理由はひとつ。両親が初めて買った土地に建てた家で、母の葬式を出してあげたい。その一心で、喫茶店をレストラン「ぎゅう丸」にリニューアルした。それでも客単価は700円のまま。3000万円の返済には到底及ばなかった。
「人口約2万人の小さな町では、レストランは成り立たない。車で20分、30分かけて遠方から来てもらう必要がある。1000円以下の料理をわざわざ車で30分かけて食べには来ない。1500円出すんだけど、3000円くらい出さないと食べられないと思ってもらえるものを出さなきゃいけない」
浩さんは、何度も自分に問いかけた。
「自分が客だったら、この料理に1500円を払うだろうか?」
ここから、10年に及ぶ試行錯誤が始まる。
え!こんなことで喜ぶの?
アイデアの種は本から集めた。毎月何万円分もの料理本を取り寄せた。田舎町には大きな書店もない。本のリストを見せてもらい、注文して届くのを1カ月待った。東京の流行もフランスの料理も本を通じて学んだ。
「お金もないし時間もない。でも本は一冊で日本全国、世界中を見ることができる」
時には業者への支払いを待ってもらいながらの崖っぷちの日々は続いた。苦しい時期を支えたのもまた、本だった。フランスの小さな村に、国中からひとを呼ぶレストランがあることを知った。
「日本中からここに人を呼ぶぞと思って、嬉野の店から星空を見てましたね」
高級な素材を使ってみても、料理のテクニックを駆使してみても、お客さんの反応は薄かった。「200回くらいは、失敗したかな」と浩さんは振り返る。あれこれ試すなかで、またもや一冊の本との出会いが転機をもたらす。日本を代表するフランス料理人、三國清三シェフの『皿の上に、僕がある。』だ。
「素材や料理の写真がたくさん載ってたけど、あんまりピンとこなかった」と話す近藤さんだが、最後のあとがきに書かれていた編集者の言葉にはっとした。
「料理がおいしいとか、おいしくなかったとかっていうことより、ここには違う料理人がいるっていうのが伝わったと書いてあった。違うっていうのが、一番大事やなと。ハンバーグにしたって何にしたって、よそに行っても同じようなメニューがあるなかで、違いを出すとは何かってことを考え始めた」
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【コーンポタージュにパイ生地をかぶせて焼いてみたら…】
