2018年に社会問題化したシェアハウス投資事件「かぼちゃの馬車問題」を覚えているでしょうか。「不動産投資」のうたい文句でオーナーを集めたものの、運営会社のスマートデイズが経営破綻。多くのオーナーが巨額の債務だけを背負う結果となり、スキームの不透明さが厳しく問われました。
詐欺的な運営体制や、スルガ銀行の不正融資に加え、居室が4〜5畳程度という住環境も問題視されました。かぼちゃの馬車はシェアハウスだったので、単純比較はできないものの、決して余裕があるとは言えない広さ。実際、当時のメディアはこぞって「貧困ビジネスだ」「劣悪すぎる環境だ」と批判していたのです。
ところが現在、それを下回る“実質3畳”の部屋が「合理的」「ミニマル」と言い換えられ、もてはやされている。ほんの数年前まで「あってはならない」とされた広さが、いまや「自発的な選択」として美化されているのです。違和感を抱いた人々が、今回のニュースに怒りの声をあげたのは当然と言えます。
リタイヤした夫婦だからこそ、ギリギリ保てる25m²の暮らし
と、そんなふうに世の中の皆さんと一緒に怒っている筆者ですが、もう1つ理由があります。現在、わが家は夫婦2人で25m²・6畳1Kの狭小マンションに暮らしているのです。
かつて1人暮らしの最低居住面積水準とされていた部屋で2人暮らしをした実感は「クリアできなくはないけれど、相当な無理ゲー(さらに言えばクソゲー)」といったところ。
ソファも、ベッドも、ドレッサーも、PCデスクも置けません。普通の暮らしを営むことはほぼ不可能で、「狭い空間をやりくりする」こと自体を趣味のように楽しむタチだからこそ、ギリギリのバランスでジェンガのように成り立っている状況です。
これが成立しているのは、我が家がたまたま「特殊な条件」を満たしているから。50代のフリーライターである私は、ノートパソコン1台で働き、60代の夫はリタイアして、スーツや仕事道具を全て断捨離しました。なおかつ、スキルス性胃がんで闘病中の夫が通院しやすい、という理由で、今の家を選んだ面も大いにあります。
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【「住める」ことと「快適に暮らせる」ことは別】
