大田原地区の中心には、16世紀に大田原資清によって築城された大田原城跡があります。
かつての奥州街道は、市南部の佐久山宿からその大田原城の前を通り、現在の那須塩原市・那須町を経て福島県白河市へと至る、江戸と東北を結ぶメインストリートでした。1874年(明治7年)には栃木県庁大田原支庁が置かれるなど、県北東部の中心はここ大田原だったと言えます。
しかし、明治期の鉄道開業時には「鉄道敷設反対運動」の影響で、東北本線の前身「日本鉄道」の路線は大田原を経由せず、隣町の西那須野(当時の那須野村、1886年開業)や黒磯(現・那須塩原市)、黒田原(現・那須町)を通ることになりました。
大田原は鉄道の通らない町となり、結果として、物流の主役の座を奪われてしまったわけです。
大田原への鉄道開業は1918年、西那須野駅から私鉄「東野(とうや)鉄道」が開通してようやく実現しますが、68年に廃止されてしまいます。その後はバス路線として市民の足となり、2018年からは関東自動車が引き継いでいます。
現在もJR西那須野駅から大田原市街へ向かうバスの側面には、当時の「TOYA」のロゴが掲げられています。
「那須」は、明治時代に開拓された“新しい地域”
実は「那須」という地域、そのほとんどが明治以降に開拓された、比較的新しいエリアです。
西那須野駅や、その後開業した東北新幹線「那須塩原駅」付近は「那須野が原」と呼ばれ、明治に入ってから開拓された地域。もともとは川がない火山灰層や砂礫層だった土地に、「那須疏水」の大工事によって水が引かれました。
「那須疏水」は、「琵琶湖疏水」(滋賀県〜京都府)や「安積疏水」(福島県)と並ぶ、日本三大疏水の1つです。
次ページが続きます:
【当時の錚々たる有力者たちが大規模農場を開き、別荘を構えた】
