江戸時代、黒羽には石高2万石ほどの「黒羽藩」があり、藩主の大関家は、下野国の大名「那須家」を支える「那須七党」の一角として、代々この地を治めてきました。
大雄寺は藩主・大関家の菩提寺であり、代々の墓所があります。本堂や総門などの茅葺きの建物が印象的で、国の重要文化財に指定されています。
「和」の父・大関増虎は藩主・大関一族でもあり、黒羽藩の家老を務めていました。母もお隣・烏山藩(現那須烏山市)藩士の娘であり、「和」は生粋の「那須の武家の娘」として1858年(安政5年)に生まれました。
「和」の生家は、黒羽城址公園から大雄寺を経て続く古道「大宿街道(だいじゅくかいどう)」沿いにあったとされ、そこには記念碑やデザインマンホールがあり、ドラマのファンが記念写真を撮っていました。
付近にある黒羽小学校の門には、黒羽藩家臣・大沼家の門が移築されています。
町内には、源平合戦で活躍した「那須与一」の活躍をたたえる「那須与一伝承館」があります。11月3日まで『風、薫る』関連の特別企画展が開催されており、「和」の生い立ちや取り巻く人々、当時の衛生環境などを伝える展示は必見です。
また、隣接する「道の駅那須与一の郷」では、当時「和」が愛したとされるフレンチトースト「パン・ペルデュ」をイメージしたジェラートがお土産として人気を集めています。
歴史に翻弄された、栃木県北の中心地「大田原」
聖地・黒羽がある大田原市は、近代化の波に大きく翻弄された過去があります。
黒羽や大田原といった町は、古くから街道沿いの宿場町として栄えてきました。古くは東山道、江戸時代には「五街道」の1つである奥州道中(旧奥州街道)が通る交通の要衝です。
次ページが続きます:
【大田原は物流の主役の座を奪われてしまった】
