このように、「情報」として差し出すことで、作家は自らの意思で「気づき」、自走し始める。命令されて動くのと、自ら気づいて動くのでは、作品の熱量はまったく変わってくる。
編集者の言葉は、作家の「気づきの余白」を奪わないためのものでなければならない。
「炎上への恐怖」にどう立ち向かうか
SNS時代の今、最も感想を歪ませるのは「炎上への恐怖」かもしれない。「トーンを抑えないと叩かれるかも」という自己検閲が働くと、作品の鋭い角を削り取ってしまうことになる。
だが、思い出してほしい。
ヒットする作品とは、誰かの心を激しく揺さぶるものであり、それは必然的に賛否を伴うものだ。炎上を恐れて角を丸くしてしまえば、作品が本来持っていた輝きや、誰かを救う力まで失われてしまう。
感想を差し出す側が「炎上しないように修正する」ことを目的にした瞬間、その作品は死ぬ。僕自身も、自分の感想が偏っているのではないかと常に迷う。だからこそ、僕は自分1人の鏡を絶対視しない。
僕は、連載をする前になると、下書きをたくさんの人に見せる。『宇宙兄弟』のときは、コピーをカバンの中に入れていて、会う人会う人に読んでもらい、感想を聞いていた。
今は、僕が主催しているオンラインサロンで、準備している原稿を読んでもらう。多様な立場のメンバーに作品を見せ、多角的な感想を集め、作家に手渡す。
すべてが自分の感想である必要はない。編集者がたくさんの感想を集めてくる役をしてもいいのだ。
たくさんの感想を集めているとき、編集者もドキドキする。自分が面白いと思っているものを、他者はどのような反応をするのか。待っているときは緊張して、わかってもらえていない感想が来たときはイラっとする。
それらは、すべて作家が味わっている感情だ。相似の体験を編集者もすることで、感想を言うときの言葉選びも良くなっていく。

