良い感想とは、模範解答のような「正解」ではなく、新たな発想を誘発する「問い」である。
「賢く見られたい」と思うと、人は無意識に「正しさ」を探してしまう。
しかし創作の現場において、編集者が「正解」を当てる必要はない。むしろ、圧倒的に間違っている意見や、ズレた読み取りこそが、作家にとって「その手があったか」「そこを勘違いされるならこう直そう」という新しい発見の引き金になる。
「賢く見られること」を目的とした瞬間、言葉は安全な場所にとどまり、鏡は平坦な「解説板」になってしまう。
打ち合わせの場で、僕はあえて「バカらしいアイデア」を言ってみることがある。それは場の緊張を壊し、誰もが本音を漏らせる「話しやすい空気」をつくるためだ。
そのアイデアは絶対に違う、と思うだけで、思考が動き出す。的の中心に近いことを言語化するだけでなく、的の外を言語化することにも価値がある。
鏡は、賢明である必要はない。ただフラットに、誠実に映し出すだけで価値があるのだ。
業界の大先輩から、こんな言葉をかけてもらったことがある。「編集者やプロデューサーは、尊敬されるよりも、舐められてなんぼだよ。舐められたほうが、みんながイキイキする」。この言葉を僕は何度も思い出して、肝に銘じている。
「関係を壊したくない」の問題
「率直に言ったら、関係が悪くなるかもしれない」という不安は、相手を尊敬していればいるほど強くなる。しかし、気を使いすぎて言葉を濁せば、感想はどんどん無難になり、作品の可能性を殺してしまう。
そもそも、作家は本当に「優しいうそ」を望んでいるのだろうか。それを確かめるために、僕は新人作家との打ち合わせの冒頭で率直に聞くときがある。「今、感想を聞きたい? それとも今日は自分の考えを話すのを手伝う?」
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【相手の心理状態は聞かないとわからない】
