しかし、そこから300メートルも歩けば、観光地の華やかさは嘘のように消え、寂れた静かな住宅街が広がっていた。
その住宅街の中に、プラザ・マテウ(Plaza Matheu)という小さな公園があった。ボカ地区での暮らしを知りたくて、日系アルゼンチン人の通訳、タマシロ・ゴンザロさん(通称タマちゃん)と一緒に、公園で出会う人々に話を聞いて回った。
15歳の男の子と女の子に呼び止められて、恋愛話を1時間も聞かせてもらった。どうやら2人はカップルではないらしいが、女の子の恋愛話を聞く男の子はどこか気まずそうに見えた。「もしかすると気があるのかもしれないな」と、地球の反対側でもその不器用さはどこか見覚えがある気がした。
その日、公園のベンチに老人が座っていた。85歳のおじいさんの日焼けした顔には深い皺が刻まれ、マテ茶を片手に静かに公園を眺めていた。
名前を聞き、職業を尋ねると、85歳の老人は長距離バスの運転手を長年やっていたのだと言う。所得は良くなかったし、派手な暮らしとは無縁だったようだ。
「でもね」と、おじいさんは少し間を置いて言った。
「僕には人生で1つだけ、誇れることがあるんだ」
「85歳・元バス運転手」の誇り
それは20年以上前のある夜、同じマテウ公園で、深夜2時頃のことだったという。
おじいさんがたまたま公園の前を通りかかると、小さな子どもが2人、暗闇の中を歩いていた。まだ小学校にも上がらないような幼い子どもたちだ。こんな時間になぜ子どもがいるのか。不思議に思って声をかけた。
「お母さんはどこにいるの?」
子どもたちが指差した方向に歩いていくと、若い母親が座り込んで泣いていた。ボカ地区は治安が良いとは言えない。母親はおじいさんを警戒するような目で見たが、どこか疲れ果てているように見えた。
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【見知らぬ親子との出会い、その後】
