完璧な謝罪文の落とし穴
現代社会を見渡すと、人間関係の摩擦さえも、AIという「潤滑油」でスマートに解消しようとする風潮が目立ちます。人間関係の悩みをAIに相談する。友人との間に気まずい空気が流れたとき、誰かに迷惑をかけて謝罪が必要なとき、AIに「角の立たない、誠意が伝わる謝罪文」を作成させ、それをそのまま送信する。
私にはこうした光景が「滑稽(こっけい)」に見えてしまうのです。
なぜ、AIでつくった完璧な謝罪文が「滑稽」なのでしょうか。それは、人間関係の本質が「言葉の型」にあるのではなく、その後の「ふるまい」や「生きる姿勢」にこそあるからです。
言葉そのものは、AIによって美しく、誠実そうに整えることができます。しかし、どんなに完璧な文章を送ったとしても、その言葉がその後の自分の行動、つまり「相手への誠実な姿勢」と結びついていなければ、それは単なる空虚な記号の羅列に過ぎません。
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【「正論」で解決しないのが「誠実さ」である】
