今思えばずいぶん単純な動機でしたが、当時はとにかく「発酵を学びたい」という思いだけで、その学校に入りました。結果的に、ここからパンの世界へと深くのめり込んでいくことになります。
3年ほど通いましたが、すべてのコースを受講し終わったのが、28歳のころ。その年ごろになると、自分の中で大人としての軸ができ、だんだんと「自分は何をやりたいのか」が少しずつ見えてきました。
私が「会社をやりたい」と思うようになっていたのもちょうどそのころ。まだ言葉にできない感覚でしたが、何か自分の手で形にしたいという気持ちが強くなっていました。
パンの学校を卒業した後、私は教室を始めました。29歳のときに家を建てたのですが、リビングが広かったので、「ここで教室をやろう」と思ったのです。
自分に子どもがいたので、子どもを連れてきて遊ばせることができるようにし、みんなでパンを作って、最後に一緒に食べるというコンセプトで教室を開きました。当時はまだインターネットもSNSもなく、宣伝もほとんどしていませんでしたが、口コミでどんどん生徒が増えていきました。
順調だった日々に訪れたメンタルの危機
最初は月に数回のレッスンだったのが、気づけば毎日レッスンをする状態になり、最終的には生徒が300人ほどにまで増加。20人ほどのスタッフを抱える規模になっていました。
ついには自宅では収まりきらなくなり、2校目を作ることに。講師を育てて雇用し、私を含めて3人体制で運営するようになりました。そして2校目を作るタイミングで、小さなパン屋もスタートさせたのです。今振り返っても、かなりの勢いで仕事を広げていたと思います。
当時はまだ女性が仕事を持つことが当たり前ではなく、とくに地方では、子育てをしながら働く女性は少なかった時代です。周りの同世代の女性たちは、子育てに専念しながらどこか閉塞感を抱えている人も多かったように思います。
そんな中で、私はパン教室とは別に「サーティーズパーティ」という名の、30代の女性が自分を磨くためのサークルも立ち上げました。
月に1度、東京から講師を呼び、コーヒーの淹れ方やカラー診断、フラワーアレンジメントなどの講座を開催。月刊誌も手作りで発行し、スポンサーもつくようになり、ラジオに取り上げられることもありました。
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【とても楽しく充実した日々だったが…】
