もうひとつ、まなざし旅には欠かせない大事なものに、旅の余韻があります。
作家の村上春樹さんは、小説について「その小説を読み始める前と、読み終えたあとで、自分の居場所が少しでも移動しているように感じられたとしたら、それは優れた小説なのだ」と語っています(『ひとつ、村上さんでやってみるか』朝日新聞出版、2006年)。
まなざし旅を終えた後にも、この感覚に近いものがあります。家に帰ってきたとき、「あれ?以前とくらべてどこか景色がちがって見える」と感じるような感覚。見慣れた景色が変わったのではありません。そう!俺が変わったんだ!そんな変化を連れてくるのが、まなざし旅です。
もともとご飯党だった長男が、ニュージーランドでパン食になじみ、朝食のレパートリーが増えたような、ほんの小さな変化です。旅に出た後に、自分のまなざしが少し変化し、世界がちがって見える。その変化に気づくのはずっと後かもしれませんが、それでも良いのです。
これらの要素をまとめて、本記事では、「まなざし旅」をこう定義します。
・観察力(見る→気づく→判断する)が自ずと育まれる旅
・旅のあとで、出発前の自分より少し変化したように感じられる旅
まなざし旅で外せない視点
ここで確認しておきたいことがあります。冒頭で紹介した、まなざし旅とは観察力が自ずと育つの「自ずと」の意味についてです。ここ、テストに出るくらい大事です。
◯【正解】親子で旅に出ていたら(手段)、観察力が育っていた(結果)
観察力を育てるために旅に出るのではなく、旅を通じて、“気づいたら”観察力が育つのです。この思考の順番を間違えると、親子旅はとたんに窮屈になります。
せっかく連れてきたんだから、ちゃんと見なさい、ほらほら体験しなさい、と親が期待値を上げ始めると、子どもはすぐにその思惑を見透かします。何かを学べとお膳立てされている空気を感じると、「ひまー」「楽しくない」と言い始める(賢いのだ)。
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【旅先選びは「子どものために」を外す】
