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JR東労組崩壊後も生き延びた「JR革マル」、社内に潜伏し、反攻の機会うかがう。JR東日本の労政改革は「未完」

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目黒さつきビル
JR革マルの牙城といわれる「目黒さつきビル」(旧動労会館) (写真:編集部撮影)
  • 西岡 研介 ノンフィクションライター

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1987年の国鉄分割・民営化、JR発足以降30年余にわたって、JR東日本社員の約8割が加入していた同社の過半数労働組合「JR東労組」(東日本旅客鉄道労働組合)。同組合は、警察当局が「革マル派活動家が影響力を行使し得る立場に相当浸透している」(2023年5月22日、参議院決算委員会での国家公安委員長答弁)とみる、いわゆる“革マル系労組”だった。
18年の春闘で、JR東労組が「スト権行使」を通告してきたため、JR東日本はそれまでの「労使協調」路線を転換し、「労使共同宣言」を破棄。これをきっかけに、組合員の大量脱退が始まり、同労組は崩壊した。だが、JR革マルの実態に詳しい同社関係者はこんな警鐘を鳴らすのだ。
「18年に崩壊したのは、あくまでJR東労組という『革マル派が影響力を持っていた過半数労働組合』であって、JR東日本社内から活動家がいなくなったわけでも、JR革マルの組織が消滅したわけでもない。『組織の革マル』を侮ってはならない……」
そして、この関係者によると、JR東日本内部の革マル派組織は「今でも反転攻勢の機会を虎視眈々とうかがっている」というのだ。
JR東日本の経営陣は、また、同社が「経営のパートナー」とする社友会は、はたして彼らに対抗しえるのか……。デジタル連載「過信―JR東日本がもくろむ『労組消滅』」最終回の後編は、「JR東日本の労政改革は未完」とするこの関係者が、JR革マルの現状について語る。

2018年春闘の「敗北」を受け、JR東労組は同年4月、臨時執行委員会を開き、「スト戦術」の最高責任者だった当時の中央執行委員長と執行副委員長(東京地方本部執行委員長)に対する制裁申請と執行権停止などの緊急措置を決めた。さらには、スト戦術を主導し、組合員の大量脱退を招いたとされる東京・八王子・水戸の3地本選出の執行委員12人に対する制裁申請と、執行権、組合員権の停止も決定。これら14人に対し「制裁審査委員会」を設置することを賛成多数で可決したのだ。

JR東労組では18年の春闘まで、前述のスト戦術を主導していた、東京をはじめとする3地本が実権を握っていた。しかし、それが大量脱退という結果を招いたことから、大宮や横浜、仙台などの6地本は、これら3地本に対する「制裁審査委員会」の設置と「新執行部の確立」を求めたのである。

そして、その後の定期大会で新たに発足した執行部からは、前述の東京をはじめとする3地本の役員が一掃され、中央執行委員長、執行副委員長、書記長の3役にはすべて、大宮地本出身者らが就いたのだ。つまり「18年春闘の敗北」を機にJR東労組では、大宮地本を最大勢力とする6地本が新たに「主流派」となり、東京を中心とする3地本は「非主流派」に転落したわけである。

「分裂」したJR東労組

しかし、主流派と非主流派はその後も、互いの運動方針や、JR東労組が保有する財産などをめぐって批判の応酬を繰り返した。また、JR東労組ではかねてより、OBとの結び付きが強いことから、それぞれの側についたOB組織の間でも非難合戦が繰り広げられた。

そして、かつては同労組の「人格的代表者」とまでいわれた革マル派ナンバー2、松崎明氏(故人)の下で強固な一枚岩を誇っていた同労組は、分裂を始めたのだ。

18年6月には、春闘時からスト戦術に反対を表明していた高崎地本の組合員らがJR東労組から脱退し、「JRひがし労」(JR東労働組合)を結成。20年2月には、前述の非主流派、東京・八王子・水戸の3地本の組合員らも脱退し、「輸送サービス労組」(JR東日本輸送サービス労働組合)を立ち上げた。25年末時点で、輸送サービス労組の組合員数は約2400人を数える一方で、JR東労組はその数を約3400人にまで減らしたのだ。

そして、この輸送サービス労組の結成を機に、同労組とJR東労組との対立も激化した。輸送サービス労組の幹部や組合員の、JR東労組時代における組合費の使途をめぐって、JR東労組が輸送サービス労組に対し損害賠償請求訴訟を起こすまでに発展したのである。

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【本当に対立しているのか】

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