外から見た評価と、住民の意向のギャップ
市民は「反発はしないが反応はする」という状態だった。商店街は百貨店を「街の発展の起爆剤」として期待し、百貨店は商機を見てやって来た。当初は、全員が同じ方向を向いていたはずだった。
しかし現実は異なる。1958年の調査時点で購買力は東京全体の64%、立川の55%。多摩ニュータウン建設が背景にあったが、人口は予測通りに増えなかった。1984年時点で衣料品の3分の1はすでに市外で買われていた。
そして、2023年の帝京大学と八王子市の共同研究によると、進学で転入した学生約9400人が卒業後の数年間でほぼ同数が市外へ転出していることが推察されるという。学生が八王子に住みたくない理由の約7割は「愛着がない」「移り住む理由が特にない」だったことも明らかになっている(帝京大学・八王子市共同研究報告書、2023年)。
最後まで生き残っていたそごうが閉店した2012年、八王子の地盤沈下を心配する声があった。しかし駅前(旭町)の地価はその後も上昇している(駅前広場接面で基準年比9.23%増、中心市街地活性化基本計画)。市民意識調査でも、市民の8割が「住んで良かった」と答え続けている(定住意向調査2012・2025年)。
ここまでの歴史を整理すると、八王子では、素通りされた矛盾と計画通りにならなかった人口増などが絡み合い、百貨店と大型店による潰し合いが起きたことが百貨店全滅の要因の一つとなっている。
それでもなお百貨店業態への期待が続いたのは、1958年の調査書が記した「消費センター」という評価が根拠になっていたからだろう。しかし、その矛盾に気づかないまま、1958年からそごう撤退まで約60年が経過した。
ただ、一つ誤解しないでほしいのは、百貨店が消滅しても、街は衰退していないことだ。百貨店は必ずしも、八王子の発展に必要なものではなかったのである。
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