「幼い甥っ子まで人質として利用」裏切り浅井を打倒するため親族を差し出す"秀吉の非情"

✎ 1〜 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15 ✎ 16
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
滋賀県長浜市にある浅井長政の家族の像(写真:Nori/PIXTA)
滋賀県長浜市にある浅井長政の家族の像(写真:Nori/PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第16回では、秀吉によって幼少期に母から引き離された甥・万丸(よろずまる)の運命について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

秀吉が外交に使ったのは「母と妹」だけではなかった

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、若き日の豊臣秀吉と弟の豊臣秀長が、織田信長のもとで、様々な「ムチャ振り」に応えながら、頭角を現していくプロセスが描かれている。

豊臣家のだんらんをみるに、この頃が実は一番幸せだったのではないか、という気がしてならない。

秀長にとって姉にあたる「とも」は夫の弥助との間に万丸(よろずまる)を生み、また、妹にあたる朝日は武士の夫と平穏な日々を過ごしている。

母の「なか」としても、子どもたちの成長を目の当たりにしながら、秀吉と秀長の出世にともなって、暮らしが豊かになっていくのを実感したことだろう。

ここから秀吉と秀長はさらなる栄達を遂げ、豊臣家の暮らしぶりはますます良くなっていくわけだが、それにともなう痛みも生じ始める。秀吉が親族を外交の手段としてフル活用したからだ。

次ページ妹の朝日を徳川家康のもとに嫁がせたが、他にも…
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事