そうすると、医師としては患者さんがどう感じ、何を求めているのかが明確になるため、提案できる治療法もより精度を上げることができるのでありがたいことだと思います。
一方で、私自身が患者になった場合には、どこか患者側から医療者に対して意見してはならないような気がしてしまい、自分の体であるにもかかわらず治療に関してうまく伝えられないところがあります。
不調を感じることも多かった妊娠中は、「医師側に立ったときには患者さんの意見がありがたいと感じるのだから」と、自分で自分の背中を押して意見するようにしていましたが、私にとっては、日常の中で他者へ意見することや何かを要求することのハードルが、まだ高く感じられることもあるのです。
それは日本で育ったことも影響しているのでしょうか。特にアメリカに移住したばかりの頃は、なかなか自分の意思を表明できないことが多々ありました。
一方で今、私が指導しているアメリカの若い学生たちは、ハーバード大学医学部のアソシエイト・プロフェッサーで指導医である私に対しても物怖じせずに意見をぶつけてくることがよくあります。
それもまったくけんか腰ではなく、「私は違う意見を持っているけれど、どう思いますか?」と自然と提案できる学生が多いのです。そんな学生たちを頼もしく思うと同時に、育つ環境や社会規範による影響の大きさを実感しています。
同調圧力の強い社会「日本」
私は以前から日本社会の許容範囲の狭さや同調圧力の強さを懸念していました。だからこそ実現可能である高い安全と衛生環境に感謝するとともに、他人と違う意見を持つ人や、自分の意思で行動する人への無言の攻撃を感じることがよくありました。
また、年齢や肩書きなどの影響力が大きく、力のある人の声が優先される社会でもあります。
加えて、ジェンダーなどの属性に関して、日常的に耳にする言葉やメディアで目にするイメージ、役割意識、社会規範などが想像以上に大きな影響を与えています。
違和感を覚えても、「こんなことを言うのは相手に失礼かもしれない」「自分には言う資格がない」「和やかな空気を壊してしまったらどうしよう」と考えて、なかなか意思を表明できないのは私だけではないはず。
本当は怒りや悲しみを感じる場面でも、「大したことではない」「私が我慢すれば済むこと」と自分に言い聞かせて感じないようにし、その場をやり過ごそうとする人も多いようです。それは自分の心を守るために、無意識下に我々にそう考えさせる脳の自己防衛機能です。
こうした自己防衛は自然なことですし、大切でもあります。
しかし、繰り返されると、やがて「自分の意見は力がない。何も変わらない」と思うようになり、意見を声にするどころか考えることすらしなくなってしまうこともあるでしょう。そんな日本のカルチャーは少しずつ変わってほしいと願っています。
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【「オーナーシップ」を持とう】
