秀長が実践、荒くれ傭兵を心服「人心掌握」の極意――足軽の信頼が勝ち取った戦国版"福利厚生"の驚くべき中身とは

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戦国時代の日常は常に危険と隣り合わせであるため、彼らは商いをするときも、武装して商品を運びます。つまり彼らは商人であると同時に、傭兵でもあったのです。

そんな蜂須賀党の人々から、秀長は小人数の兵を機敏に動かす方法(ゲリラ=遊撃戦をおこなう小部隊の戦法)を学びました。

腕に覚えのある荒くれ者たちを束ねるには、口先だけで偉そうなことをいっても効果はありません。自分自身で率先して、やってみせなければ人はついてこない、と小六は秀長に説きます。

この教えは、若き秀長にとって大きな一歩となりました。

足軽たちの個人情報をつかむ

そもそも、成り上がり者の秀吉に預けられている兵たちは、ほとんどが金で雇われた傭兵か、信長の指示で配下となった者たちです。彼らは信長が「秀吉の指示に従え」と命令したから、従っているに過ぎません。

ただでさえ秀吉個人に忠義を感じていない彼らが、その弟である“代理”の秀長を敬う根拠など、どこにもなかったでしょう。

そこで秀長は小六の教えに従い、自ら行動で示すことにしました。

敵地に調略に向かう秀吉に従う際、戦いに慣れない秀長は怖くて仕方がなかったはずです。それでも、歯の根が合わないほどの恐怖をグッと我慢して、逃げずに堂々と振る舞いました。

ときには戦闘になる場合もあったでしょうが、秀長は骨が鳴るほど怯えていても、目をつむって突撃する気概を見せます。その姿を見た傭兵たちは、徐々に秀長を自分たちの隊長代理として認めていきました。

加えて、といいますか、むしろ重要なのはこちらなのですが、秀長は秀吉が得意とした「調略」を足軽の組頭“代理”の立場で、すでに活用していたのです。ズバリ、今でいう福利厚生──。

隊内で病気やケガをした足軽の手当、冠婚葬祭(日本で古来、人の世の四大礼式といわれた元服、結婚、葬儀と祖先の祭礼)にまつわる、諸々の行事を担当することによって、秀長は足軽たちの個人情報をつかみます。彼を敵に回すもの好きはいなかったはずです。

足軽たちは秀長に感謝し、大いに徳としたに違いありません。

やがて秀吉が、より大きな集団を指揮するようになると、補佐役の秀長の役割もそれに応じて大きく、広くなっていきます。

そんな秀長の次なる師匠となったのは、竹中半兵衛です。

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