「死んだほうがいいかも」…本州進出を中止したニトリ会長の独白、4億円の違約金を払い"土下座の勢いで謝罪"した過去

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「できない」を「できる」に変えてきた、似鳥氏の経営哲学とは?(写真:yu_photo/PIXTA)
世界に1048店舗(2025年3月時点)をかまえるニトリグループ。破竹の勢いでグローバル展開を加速させるニトリですが、その裏には、現会長の似鳥昭雄氏が「死」を意識するほどの葛藤と、経営を揺るがすとてつもない失敗がありました。
バブル絶頂期、本州進出を目前にしながら「4億円の違約金」を払って撤退を決断し、地主の前で土下座同然の謝罪をした真意とは。自らの弱さと向き合いながら「できない」を「できる」に変えてきた、似鳥氏の泥臭くも執念に満ちた経営哲学をさらけ出します。
※本稿は『発達障害の私だからこそ、成功できた』から一部抜粋しています。

ニトリ本州進出を前に、私の心は振り子のように揺れていた

1980年代後半、ニトリの店舗は北海道全域に広がり、道内での知名度は定着。「いよいよ本州進出」と行きたいところでしたが、どうにも経営者である私の気持ちがそこについていけていませんでした。

「100店舗、1000億円」の目標を達成するために北海道の外に出ることは欠かせない。頭ではそうわかっているのに、大げさではなく、私は本州進出を恐れていたのです。

未知の世界へ進出するために必要なコスト、各地域にチェーン展開している大きな競争相手との戦い。その過程で自分がまた失敗するんじゃないかという不安が膨らんでいきます。経営者として揺れる自分がいました。

そんな弱気が表に出てしまったことがありました。全社員が集まる社員総会の場で、私はこう言ったのです。

「北海道のためにがんばりましょう」

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