「死んだほうがいいかも」…本州進出を中止したニトリ会長の独白、4億円の違約金を払い"土下座の勢いで謝罪"した過去
それからしばらくしてバブルが崩壊。土地代や建設費などがだいぶ下がってきた1993年、私たちは本州に進出し、2006年には本部機能を東京に移しました。会社を支えてくれている社員たちが、北海道から出たがらない私を見て落胆し、辞めてしまったら、成功はありません。だったら、約束通り本州で勝負して、ダメだったらダメで仕方がない。揺れ動いていた私の覚悟が定まったのは、成長した社員の力があったからです。
その「できない」は、「やっていない」ではないか?
本州進出から2年後、ニトリは「お、ねだん以上。」の商品を実現するために海外に自社工場を立ち上げ、生産を開始することになります。2004年にはEC事業であるニトリネットを開設し、2010年には物流部門を担う「ホームロジスティクス」という専門会社も立ち上げました。
次々に自前化を進めたニトリは、現在「製造物流IT小売業」というビジネスモデルを掲げていますが、これは世界で他に類例がないもの。最初からこうしようと思っていたわけではなく、「お客様に安い商品を届けたい」というロマンにこだわり、追求し続けるうちにたどり着いた場所でした。
例えば製造の面で言うと、ニトリで販売しているソファはベトナムの自社工場で作っています。これも最初はバネとウレタンを外部から調達して仕上げていました。でも、より安く、より品質を良くするには? と深めていき、外部に頼んでいた素材部分を自分たちで作ってみる、という考えに至ったのです。
実際にそうやって自前でやってみると、コスト削減の余地がたくさん見つかりました。「できない」と思っていたことが、実際には「やっていない」だけだったことがわかったのです。
とはいえ、私がソファの素材から作ると言い出した時は、社内から次々と反対の声が上がりました。「そんなことできません」と、現場の社員はすぐに言うんですね。
そこで私は、何度もベトナムへ足を運び、工場を見て、そこで実際に手を動かし、何度も失敗しながら素材を作ってみせたのです。そうすると、最初は「専門外の分野だから」と関わるのを避けようとしていた社員が、「なんだ、できるじゃないか」と意識を変えていきました。
私は、経営者としては欠点だらけです。でも、ロマンの実現に繫がる取り組みにこだわり、粘り強く追求していく集中力は自分の取り柄であり、良さだと思っています。思い立ったら我慢できないし、閃いたら試してみないと気が済まない。こだわったら諦めない。





















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