かつてはロードサイドに輝く《巨大ネオン》が象徴だった売り上げ157億円チェーン…同じ屋号で運営する意外な理由
「焼肉とうどんの併設はあります。でも、やっぱり敷地内に3店舗以上ないと“味の街”とは言えないんじゃないですか。2つじゃ、街とは言えない気がします。明確な定義があるわけではないんですけど」
味の街とは、複数業態が並び立つ“街”だった。1つの敷地内に3つ以上の業態が存在してこそ、その名が成立する。
かつて熊本では6〜8コーナーが並んでいたという。だが店舗縮小や退店が進み、業態が減るにつれて「味の街」と呼べる状態ではなくなった。名称は徐々に消え、看板も取り外されていった。うどんと焼肉が台頭していく中、静かに役割を終えつつある。
創業者のチャレンジ精神が支えているウエスト
同じ屋号で多業態を展開する。外から見れば、どこか統一感を欠くようにも映る。しかし、それは“奇妙な戦略”の結果ではない。味の街という構造の延長線上にある、ごく自然な拡張だった。分けなかったのではない。分けるという発想が、もともとなかった。
その背景にあるのが、創業者である故・境豊作氏の気質だ。そもそも「ウエスト」という名前の由来も、特別な意味が込められているわけではない。創業当時、1号店の設計を担当した設計士が、図面の店名欄に暫定的に「ウエストサイド」と書き込んだ。あくまで仮の名称だったという。それを目にした境豊作氏が言った。
「でもちょっと、ウエストサイドは長いなあ。ウエストだけでいいんじゃないか」
こうして、あまりにもあっけなく「ウエスト」という屋号が決まった。深い戦略や綿密なブランディングの末に選ばれた名前ではない。だが結果的に、この4文字は半世紀以上にわたり、うどんも焼肉も中華も、すべてを包み込む共通の看板となった。境豊作氏はこう語っている。
「社名や店名は何でもいい。自分たちの努力次第で、その名前が良くなることもあれば、悪くなることもある」
友人たちが「ネーミングが重要」と案を持ち寄ったこともあったが、ほとんど関心を寄せなかったそうだ。
新しい業態に挑む。うまくいかなければ撤退する。カレーで「100店舗つくる」と宣言し、最大4店舗で終わったこともある。境豊作氏は、何かをやってみたいという声が上がった際、よほど無謀な挑戦でない限りは、積極的にチャレンジさせたのだそうだ。挑戦も撤退も、ウエストにとっては、過程の一部でしかない。
今では「ウエスト」という名前は、福岡県民にとって大きな意味を持つようになった。これからも、おいしいものが集まる“味の街福岡”で、ウエストは存在感を放ち続ける。
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