かつてはロードサイドに輝く《巨大ネオン》が象徴だった売り上げ157億円チェーン…同じ屋号で運営する意外な理由
「自然と屋号を分けないことになった背景として、創業期に展開された『味の街』の影響が大きいと思います」
かつて「ウエスト味の街」と描かれた大きなネオン看板が、九州のロードサイドに輝いていた。味の街が誕生したのは、高度経済成長期、車社会の広がりとともに各地でドライブインが誕生していた時代である。ウエストもまた、国道沿いに構えたドライブインから歩みを始めた。
味の街は、1つの敷地内に複数の飲食店が集まる構造だった。寿司、ラーメン、とんかつ、ちゃんぽん、天ぷら、焼き鳥、和食、洋食。家族それぞれの好みに応えられるよう、さまざまな業態が“コーナー”として並んでいる。コーナーと言いつつも、建物はすべて別々である。当時としても、独特だった。
「電話応対も“ウエスト◯◯店、◯◯コーナーです”と表現していました。同じ敷地内で屋号が違うのもおかしな話じゃないですか」
この発想が、その後も引き継がれていく。
味の街は、時代とともに形を変えていった。併設型の店舗が生まれ、やがて単独店へと展開が広がる。しかし、業態が分かれても屋号は変わらない。味の街という構造の中で、「ウエスト」は包括的なブランドとして機能していたからだ。
当時の味の街には、現在の主力業態以外にも数多くの挑戦があった。中華は最盛期に13〜14店舗を展開していたという。イタリアン、ステーキハウス、炉端、和食、うなぎ、とんかつ、天ぷら。さらにはサウナやレンタルレコードまで手がけた時期もある。
消えていった業態も少なくない。しかし、飲食ならどの業態であっても屋号は一貫して「ウエスト」のままだった。そこに特別な意味があったわけではなく、自然とそうなっていったのである。
なぜ残ったのは「うどん」と「焼肉」だったのか
では、数多くの業態が並んだ味の街のなかで、なぜ最終的に主力として残ったのが「うどん」と「焼肉」だったのか。
味の街のなかで、「焼肉」は早い段階から存在感を示していた。1989年、北九州市小倉南区に焼肉の単独店を出店したことは、その象徴的な出来事である。味の街という集合型から、単一業態として外へ出る。その第一歩を担ったのが焼肉だった。
味の街の中で、焼肉が最初に成果を出した最大の理由は、業態としての安定性にある。





















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