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〈アーカイブ〉谷井昭雄氏が1986年の社長就任時に語った危機感、「 素晴らしいのは幸之助であるし、ある時期の松下だった」

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――岡山工場時代は、大分苦労をされた……。

谷井:岡山時代を一言で言いますと、いわゆる業務用、教育用のVTRがホームユースとしてのVTRに代わる時期だったということでしょうね。

同時に結果からすると、ビデオ事業部は失敗したことになるわけですね。 家庭用のVTRをやって、売れませんから事業としては赤字が累積してくる。 それとオイルショックの追い打ちもあった。

――あのときの後始末はどのぐらい要ったんですか。

谷井:累積赤字73億円。

ーーそれは何年で処分なさいましたか。

谷井:それの償却をしたのは、VHSが本格的に立ち上がってからですね。 53年から我々がやって、56年の初めぐらいまでかかったんじゃないですか。

やり続けてきたから勝つことができた

――それが今や世界最大のビデオメーカーになってしまったわけですが、勝因の第一は何でしょう。

谷井:勝因というのはちょっとね。やっている本人にとったら、勝ったとか、負けたということではないですな。精一杯やったということだけね。 いつも申し上げるんだけれども、VTRはポスト・カラーとか、いろいろと言われた。それを我々も信じてやらないと、仕事はできない。信じているということは、向こうに灯があるからということであって、しかし、本当にそれがこんなに1兆数千億円のビジネスになるとは思わなかったですね。

ある時期には、アメリカもやっていたし、もちろん現在ヨーロッパもですけれども、日本のVTRがここまで来たのは何かとなりますと、極めて当たり前の答えになるんですが、やり続けてきたと。当たり前のことだけれども、このやり続けるということですね。

――あきらめなかった。

谷井:そうそう。そのとき、そのときは本当に大変だった。やっている人間も会社も大変だったんです。うちもえらい赤字を出したけれども、よそさんも大なり小なりそんなに楽じゃなかったと思うんですよ。言うか言わないかの差だけで。

とにかく手探りだったけれども、やり続けていると、だんだん、おや、行けそうだな、行けるぞ、あっ行ったと。 それは当時のビデオ事業部の連中の非常に大きな体験ですね。

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