開業時から「デパートとしての魅力に欠ける」「中途半端な大型店」と言われていた…千葉にある「百貨店が全滅した街」の本質要因
日本百貨店協会に加盟していた「西武百貨店市川店」「市川京成百貨店」「松坂屋市川店」の3店に加え、当時は百貨店に近い形態だった「丸興」「緑屋」「十字屋」を合わせれば、その数は6つにものぼる。この内の4店が開業した1963年は空前の商業黄金期だ。
しかし、その終焉は早い。西武は早期にスーパーの西友へ業態転換し、77年に誕生した松坂屋も、百貨店としては短命の22年という歴史に終わる。2010年に京成が閉店したことで、市川から百貨店は完全に消滅した。
「活気があるのになぜ、百貨店だけが消滅したのか」
「百貨店というビジネスモデルが、現代に合っていないからではないか」
そんなふうに考える人もいるだろう。しかし、詳しくは後述するが市川市の場合、実は百貨店がオープンした昭和の時代から、市民の評価基準はすでに東京に置かれていたのだ。
なぜ市川の百貨店はこんなに短命だったのか
市川の百貨店史を振り返ると、他の都市にはない「見切りの早さ」が際立つ。まずは、かつて存在した6つの百貨店の変遷を整理したい。
なお、本稿では日本百貨店協会加盟店だけでなく、当時の都市文化を支えた「月賦百貨店(丸興、緑屋、十字屋)」も、広義の百貨店業態として含めて俯瞰する。




















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