「大切なのは、生まれじゃないの。心なの」 名店の味を継承…武蔵小山《人気焼肉屋》の"意外な誕生秘話" バングラデシュ出身店主の半生とは
両親からの期待とプレッシャーを無視できず、きょうだいのなかで唯一、大学に進学してビジネスを学ぶと、海外で商売をしたいと考えるようになった。
バングラデシュで働くという選択肢はなかったのだろうか?
「バングラデシュは給料が安いし、いろいろルールが厳しいから会社で働くことは考えなかったね。それにすごく暑いし、車がずっと混んでるのも好きじゃない。お金のために悪いことをする偉い人がいるのも本当にイヤで、国から出たかったんです」
バブさんの大学ではアメリカ、カナダ、ヨーロッパか日本に渡る人が多かった。そのなかで日本を選んだのは、12歳離れたお兄さんがかつて日本で働いていたからだ。
「一番上のお兄さんが、12年ぐらい日本の飲食店で働いていたからね。ソニーのウォークマンとか時計とか日本のものをお土産にもらいました。帰ってきた時に見せてくれた日本の写真も、都会でピカピカでした」
日本に好印象を持っていたバブさんは2007年、日本に渡る。
「日本のお母さん」との出会い
最初の職場は、知人のバングラデシュ人が経営するカレー店だった。勉強嫌いで語学学校にも行きたくなかったバブさんは、川崎市の向ヶ丘遊園にあるそのお店で調理と皿洗いをしながら、日本語を学ぶ。ほとんどの日本語は、お客さんとの会話で覚えたという。
「私、コミュニケーションが好きだから。最初の頃は言葉ほとんどわかんなかったけど、1年もしたら友だちたくさんできたね。お客さんも私に会いに来てくれた」
お店に来ていた日本人のお客さんと親しくなり、ご飯を食べに行くこともしばしば。常連のおじいさんたちに英語を教える代わりにご馳走になることもあったと笑う。
「私はそこまで英語上手じゃないけど、おじいちゃんたちが、大丈夫、それでもいいからって」
なかでも一番よくしてくれたのが、お店のオーナーの妻(日本人)の母親。バブさんにとって「日本のお母さん」のような存在だ。
「本当にありえないぐらい優しい人です。私がお皿を洗っていたらこっそり手伝ってくれたり、家で食べなさいっていろいろ持ってきてくれました。下北沢とか溝の口にご飯に行ったりして、いっぱい喋りましたね。よく電車のチケットもくれたから、渋谷とか原宿、新宿に行って散歩しました」





















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