献立は1週間分を暗記——80歳「スーパー寮母」の日課と段取り。若者の暮らしを支えて半世紀、学生寮を続ける活力はどこから?
元治さんと勝子さんは学生寮の中に自室を作り、学生たちと文字通り“一つ屋根の下”で暮らした。
元治さんは根っからの人好きで、時には大部屋ですき焼きを振る舞うなど、我が子のように学生たちを可愛がった。
しかし、経営は常に順風満帆だったわけではない。平成に入るとワンルームマンションが普及し、共同生活を敬遠する学生が増えた。周囲の寮が次々と閉鎖される中、京都学生グリーンハイツも赤字ギリギリの経営が続いた。
さらに2人の間には3人の娘たちがおり、それぞれ音楽の才能を見出したことから、レッスン代や演奏会の遠征などで、教育費が膨大にかかったという。
現在、ピアニストとして活動している長女の幾子さんは、「寮のおかげで音楽をさせてもらえてるから、子どもの頃から父と母の手伝いをするのが当たり前でしたね」と振り返る。
苦境を支え続けた大黒柱の元治さんだったが、2014年の冬、肺がんにより75歳でこの世を去った。亡くなる直前まで、厨房に立ち続けたという。
学生に出す料理のほとんどを元治さんが担当していたため、勝子さんは「とても1人ではできない。今いる学生たちが卒業したら、ここを閉めよう」と考えていたという。
当時、指で数えられるほどの学生しか入居していなかったが、勝子さんは一人ひとりが暮らしやすくなるよう懸命に働いた。その間、手伝ってくれるスタッフや娘たちの協力もあり、「これからも続けられるかもしれない」という思いがわいた。
勝子さんが夫の亡くなった年齢に近づいた頃、娘たちから「お母さん。もう無理しなくていいよ。規模を小さくしてもいいんじゃない?」と勧められた。
けれど、勝子さんは首を振ってこう言い放った。
「もっとがんばりたい。ここを、満室にしたい」
それを聞いた娘たちは「えー! なぜ?」と思ったが、この一言をきっかけに、家族一丸となって「満室計画」への挑戦が始まった。長女の幾子さんを中心に、それまでは手つかずだったホームページを刷新し、ビラ配りに力を注いだ。
そもそも京都学生グリーンハイツは、京都府内の大学からも近いわけではなく、最寄り駅からも離れており、決していい立地ではない。そのため、すんなり学生が入ってくる環境ではなかった。
地道な努力が実り始めたのは、2021年頃からだ。経営状況は好転し、35室すべてが埋まるように。関西のテレビ局から取材を受けると、さらに人気が集まった。
「母は、目標を掲げて動くことで、かえって心身の活力を取り戻していったように見えました」と長女の幾子さんは言う。
80歳を目前にした寮母の「満室にしたい」という思い。それは経営を超え、亡き夫と築いた日々を守り抜こうとする決意だったのかもしれない。
自分のリズムで動くことが日常を支える
取材も終わりが近づいた頃、勝子さんは取材用に着用していたスーツから、普段のスタイルであるエプロン姿に着替えた。「夕食の準備をします」と言い、2メートルの幅のある食器棚から、お皿を選び始めた。
普段は昼すぎに夕食の準備に入る。「ご自身の昼ごはんは、どうなさってるんですか」と聞いてみた。
「残った料理で立ったまま、パクッとね(笑)。座って食べてしまうと、火の加減がわからなくなるし、タイマーをかけていても油断してしまうでしょう。だから厨房内をずっと動き続けています」(勝子さん)
ずいぶん早く取り組むのだなと思ったが、35人分の料理を作るのは、それなりの時間が必要なのだろう。「夕食の配膳時間の30分前までに完璧な状態にしておくこと」が、彼女の決めごとだという。




















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