献立は1週間分を暗記——80歳「スーパー寮母」の日課と段取り。若者の暮らしを支えて半世紀、学生寮を続ける活力はどこから?

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実は、勝子さんは昨年8月に心臓の不整脈を整えるための手術をした。その手術は成功し、それ以降、劇的に体調がよくなったそうだ。

相乗効果で慢性的な坐骨神経痛のような痛みや足のむくみがなくなり、勝子さんの骨密度を測定したところ、若年層の平均を大きく上回る数値を記録した。

唐揚げ
大量に作られる唐揚げ(写真:京都学生グリーンハイツ提供)

学生が好きそうな献立を80代の自らも食べるというのは、身体にいいのだろうかと疑問を覚えたが、勝子さんの場合は、日々あらゆるメニューを作っているため、食材が偏らないからこそ身体の調子がよいのかもしれない。

65年続く「食事付き学生寮」の歩み

ここで、夫婦二人三脚で学生寮を営んできた道のりにも、触れてみたい。

京都学生グリーンハイツの歴史は、明治時代から続く、料理旅館から始まった。

かつての岩倉は、京都御所の姫君らが心の病を癒やす療養地であり、その家族らが宿泊する旅館として賑わっていた場所だった。旅館はその後、食事なしの下宿として部屋を貸すようになる。勝子さんの夫・元治さんの両親もその運営を担っていた。

その後、元治さんが勤める会社で同僚の勝子さんと出会い、結婚。元治さんの両親から下宿所を任された後は、元治さんが会社に勤めながら運営した。

転機が訪れたのは1973年。京大の学生課の職員からの提案がきっかけで、本格的に学生会館として立て直すことに。古い木造の建物は、鉄筋コンクリート造の学生寮へと生まれ変わった。

元治さんは脱サラして寮の経営で生計を立てることを決意。もともと料理が好きだったこともあり、「食事を提供する学生寮にしよう」と決めた。

リビング
共同で使うリビング(写真:筆者撮影)

学生寮の建て替えは、費用の工面に難航したという。当時は食事付き学生寮の先例がなく、銀行からは融資を渋られてしまった。保証協会の助けを借りてようやく実現にこぎつけた。

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