「家の中にビニールハウス」を作った男の植物生活。いとうせいこうさんがたどり着いた"還暦間近の切実な日々"と"室内園芸の極意"
ということで近頃の俺は、めったに足を運ばなかった100円ショップにせっせと通っている。店先に何種類か小さな観葉が売られているから、俺は気になるものの根元をすかさず見てラベルを読み、すでに買ったのと違えばそれを入手する。
家に帰れば即座に中くらいの、出来ればシャレた陶器などに植え替える。なければ素焼きでもいいし、最終プラスチックの場合もある。
ともかく100円ショップでは黒いビニール鉢に入ってほとんど投げ売り状態に見えるから、それを我が家に丁重に引き取る感じが出したい。つまり「まさか100円だったとは思えない」ようにしたいのである。見栄だ。
花屋の店先でも、俺の目はこれまでと違う動きをする。以前なら花のない場所は基本見なかった。しかし今では逆に色のついたゾーンを見ない。色、すなわち花を見てしまうと俺のトラウマが刺激され、枯らしてしまったことへの猛省に襲われるし、眼前の鉢を同じ境遇にしてしまうであろうことに恐怖を感じるのだ。
100円村出身者の引け目
というわけで艶めいた葉ばかり見る。その直後にやはりラベルを見るのはつまり値段を見ているのである。珍しい観葉がバカ高いことはよくあるから、そういうものへの興味はすぐに却下だ。
なにしろ俺の室内にある新しい観葉のほとんどが100円なのだから、そこに3000円の鉢などが来たらどうなるか。100円村出身者たちは確実に引け目を感じ、育つ速度をゆるめてしまうだろう。格差反対!
さらに忘れっぽい俺は早い段階で紙の札を買い、もともとついていたラベルから固有名詞を引き写して書いている。なぜなら俺の観葉嫌いの原因のひとつが「覚えられない名前」のせいだったからだ。
すでに今だって「ペペロミア」がある。なんだ、このちょっと辛いイタリア料理みたいな名前は。あるいは「アロカシア」。こっちはどうもロシア料理っぽい。もしくは「フィロデンドロン」。皮膚のかゆみに効きそうな響きではないか。
まして「ネオレゲリア」など、確実に南米あたりの山岳で抵抗運動をしているだろう。一方「モンテスラ」は聞き覚えのある可愛い名だが、少し湖畔の修道院めいた印象がある。
こうした多彩な名前を完全に頭に入れるのは、来年還暦を迎える俺にはとうてい不可能だ。そこでいちいち書く。家で包みを解いたらすぐに写す。しまいには「ネオレゲリア400円」と値段まで書く始末だ。花屋で安く見つけた時の喜びが出てしまったらしい。
ともかくこうして、我が家のビニールハウスにすさまじい速度で新入りが増えている。日々彼らは育ち、俺の心の傷を癒やす。特に、その安さにおいて。
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