先生はもっと休んだほうがいい…怖い「オーバートレーニング症候群」、《攻めの休養で脱「疲れているのは当たり前」》

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『休養学』でも紹介されていますが、アスリートたちは激しいトレーニングのあとに必ず一定の休養を取ることでパフォーマンスを上げています。

前回のトレーニングの疲れが、回復しきっていないのに再びトレーニングをすると、パフォーマンスが低い地点から再スタートすることになります。これを繰り返すと、どんどんパフォーマンスが落ちてしまいます。「オーバートレーニング症候群」と呼ばれる悪循環です。また、疲労がたまるとバーンアウトになりやすいこともわかっています。

超回復理論とオーバートレーニング症候群
(出所:片野秀樹『休養学―あなたを疲れから救う』p41)

学校はどうでしょうか。少なくない学校が、受験に向けた勉強や部活動、学校行事の詰め込みなどで、オーバートレーニングを子どもたちに課しているのではないでしょうか。「子どもをヒマにさせるな」と言わんばかりに。そして、自分たち教職員も、疲れ果てているので、やさしくなれません。

次の引用箇所も、教職員や教育行政職員に、とってもよく当てはまるのでは、と思います。

私たちが疲労感を無視できるもう1つの要因は、疲労感を一時的に「マスキング」できてしまうことです。マスキングとは上から覆い隠すことをいいます。使命感や仕事のやりがい、褒賞への期待、あるいは「ここでがんばらなければみんなに迷惑をかけてしまう」という責任感などによって、疲労感を覆い隠すことができるのです。(中略)
休んでもフル充電に戻せないまま、活動に戻っているのが実態です。私の感覚では、今の日本人は休養しても50%程度しか充電できていないイメージです。そのまま活動して20%くらいまで減り、休養で50%にどうにか戻って、また活動して……。これでは、私たちの消耗は進むばかりで、疲れがどんどんたまっていってしまいます。
(出所:片野秀樹著『休養学ーあなたを疲れから救う』)

とりわけ学校では、がんばったことが子どもたちの姿として返ってきますから、ついつい無理をしがち。疲労をマスキングしやすい仕事です。「子どもと向き合う時間の確保のため」という認識ややり方では、使命感を助長するばかりで、疲労はいつまでもとれません。

疲れたら休むという当たり前のことができる社会へ

片野氏が提案するのが“疲れているのが当たり前の社会”を“疲れたら休むという当たり前のことができる社会”へ変えること。

「高熱なので休みます」とか「インフルなので休みます」とは言えるのに、「疲れがたまってきているので休みます」とは言いにくい。子どもも大人も。この社会転換の必要性、私もとても共感しました。

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