熊野山の材木事件
鶴松誕生のおよそ半年前の冬、秀長の家臣・吉川平介が秀吉の命によって処刑されるという事件が起きました。一体何があったのかというと、まず秀吉は京都の三十三間堂の北側に「東山大仏」の造立を始めました。その大仏殿の建立には膨大な量の材木が必要でした。
秀長の領国である紀伊は材木の産地として名高く、この材木を取り仕切る材木奉行が吉川平介でした。
この平介が熊野山の木、およそ2万本を大坂で売り払った際に、過分に代金を受け取った罪により捕らえられ、最終的には処刑されました。
過分に受け取った代金が、具体的にどれほどのものだったのか、それは吉川平介個人による着服だったのか、上司である秀長はそれを知っていたのか、もしくは秀長の指図だったのか、真相に関する記録はなく詳細はわかりませんが、最終的には処刑という厳しい罰が秀長の家臣に科せられたのは事実です。
秀長は天下の面目を失ったと『多聞院日記』には記されています。
次ページが続きます:
【家臣の賄賂! 兄弟関係に暗雲…】
