ブランドコンテンツとは
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ブランドコンテンツとは

ブランドコンテンツは、企業や団体のブランディングをサポートする東洋経済オンラインの企画広告です。

日本経済はアベノミクス効果で景気回復や賃金上昇が叫ばれているものの、これから先どうなるかは誰にもわからない。将来の不確実性がより高まっている今、必要なのは自分の人生を見つめ直す新しい視点を得ることである。そのキーワードになるのが、「グローバルな視点とパイオニア精神」である。ビジネス、文化、芸術など様々な分野でボーダレス化が進み、新しい枠組みや取り組みがどんどん現出してきている。多様性・感受性を持ち合わせた人物にとっての好機が到来しているのだ。そこで輝くためにはいかに自分自身を磨き、いわゆる「パーソナルブランディング」を行っていけばいいのか。時代の第一線で活躍する人たちに話を聞いた。


女性第一号の選手として入部
“風が見える”まで練習した日々

――同志社大学ヨット部のご出身ですね。どのような経緯でヨット部に入られたのですか。

佐竹 同志社大学体育会ヨット部は、創部80年を超える、ヨット界の中でも伝統ある名門クラブです。過去最多のインカレ優勝歴を持ち、卒業生の方々もたくさん活躍しておられます。

私は中学時代からヨットを始めたのですが、同じ琵琶湖を練習場にしていたこともあり、同志社の体育会ヨット部に憧れを抱き、大学入学後に入部を希望しました。

ところが当時ヨット部では、(マネージャー以外の)女子学生を採っていませんでした。そこで「女子も入れてください」と自ら申し出て入部を許され、選手として女子第1号の部員となりました。

――当時の活動で、印象に残っていることはありますか。

佐竹 合宿では朝8時から夕方5時半までずっと海の上です。男女分け隔てなく指導を受ける、非常に厳しい体育会だったので、精神面、肉体面ともに鍛えられました。

ヨットは経験値がモノを言う競技で、ゴルフと似ているとよく言われます。いわゆる感覚のスポーツで、ヨットにずっと乗っていると、“風が見える”ようになるんです。風が吹き込んできたり、溜まっているのが、色で見えるようになる。風向き・速度の予測力、ヨットの操船能力、相手の動きを読む力は経験から培われるものなのです。

ヨットは何か一つができたからといって、一番になれる競技ではありません。生活態度を含め、総合的に学ばなければ勝てません。ヨットレースは人生とよく似ていると言われますが、そこから多くのことを学んだと思います。


「勝ちたいという意志」が
ナショナルチーム選抜につながった

――大学卒業後の進路はどう思い描かれていましたか。

佐竹 いつかはオリンピックに出たいと思っていました。4回生のときにナショナルチームから声がかかったことがあったのですが、当時はインカレに集中していたので、そのときは断念しました。

卒業後、2000年の全日本女子選手権で、逆転で優勝を逃してしまったことがヨットに改めて真剣に取り組む契機となりました。その後、2002年の全日本女子選手権で優勝し、ナショナルチームに選抜されたことで、オリンピックへの道が開けました。

――当時自分を駆り立てていたものは何でしたか。

佐竹 勝ちたいという気持ちだけでした。学生時代に戦ったライバルたちが、ナショナルチームで活躍しているのを見ると悔しくなるし、試合に負けるともっと悔しい。絶対に勝ちたいという気持ちが強かったです。

――2004年セーリング競技日本代表として、アテネオリンピックに出場されました。オリンピックでの真剣勝負は、実際にはどのような場でしたか。

佐竹 スタジアムもなければ、大歓声もありませんから、気持ちとしては、海の上で、これまで世界選手権で競った選手と淡々と戦うという感じでした。

でも、オリンピック特有のことを言えば、海外の選手は1~2カ月前から急にうまくなります。代表に決まると、最後の追い込み方がすごいんです。あの手この手で勝ち上がってきた人間たちの中から選ばれた代表選手が、さらに集中して訓練して、本番の戦いに挑んでくる。そんな強者たちと戦うのがオリンピックなのです。メダル候補だったのですが、結局、入賞は逃してしまいました。


「私は一体どこの国の代表なのだろう」

――オリンピック後、家業である西陣織製造業に携わることになりましたが、どのような経緯だったのでしょうか。

佐竹 海外で、ほかの国の代表選手に会うと、国の歴史や文化について、きちんと語ることができる選手が多い。とくに王室のある国では、ロイヤルヨットクラブがあることが多く、国主催のパーティーで多くの選手と触れ合うことがあります。

そんなパーティーに参加しているときに、「なぜ日本の方なのに着物ではないの」と言われたことがあるんです。小さい頃から、日舞をやるような環境にあったのに、日本について何も話せない。自分は代表選手なのに、一体どこの国の代表なのかという気持ちになりました。

その後、実家に戻って、伝統産業に携わる家業の仕事を見たときに、誰にがんばれと言われるわけでもなく、コツコツと仕事をしている職人のエネルギー、モノづくりに対する思いに触れ、大きな感銘を受けました。

代々やってきた家業を引き継ぐ者がいなければ、誰かが引き継ぐべきだろうと思いました。そして、これまでモノづくりを続けてきた家族の思いをくみ取りたい。そう思って、手伝い始めたのです。

――実際に、家業を手伝い始めていかがでしたか。

佐竹 異種格闘技戦でしたね(笑)。ヨットなら、戦う相手が決まっているし、風を見て、人を見て、道具と自分の感覚さえ研ぎ澄ませておけば勝てる。でも、仕事はそうはいかない。いろんな人がいて、いろんなことがあって、情報が多過ぎるくらい。ヨットと違って、見るところが多過ぎて、何を軸に戦えばいいのかわからないほどでした。

しかも、西陣では帯づくりに携わっている女性が非常に少ない。歴史のある業界なので、長年続く独特な慣習もあります。実家で仕事をするとはいえ、認めてもらうまで大変でした。


女性の願い、思い、祈りを
着物で表現したい

――佐竹さんがつくった帯ブランド「かはひらこ」とは、どのような考えで生まれたものなのでしょうか。

佐竹 「かはひらこ」は大和言葉で「蝶(ちょう)」を意味します。蝶は、武将の家紋に用いられるように、「再生」「永遠の命」という意味も表しています。さらに、蝶は、か弱いように見えますが、古代より厳しい環境を果敢に生き抜いてきた生命力を持っています。

日本の女性も蝶のように現代の過酷な社会を生き抜いてほしい。着物がそんな女性たちの羽根になれたらいい。そして、着物の世界を再生したい。そんな願いを込めて、「かはひらこ」ブランドを立ち上げたのです。

着物は今、新しい世界に向かっています。女性たちの中で、今なぜ、着物を着ようとしている人が増えているのか。それは日本人として、心を寄せて特別な時間を過ごすための衣装だからです。着物に身を包んで、日本人として大切な時間を過ごしたい。そんな世界観を現代の女性が持つようになってきたと思います。

最先端のファッショントレンドを追っているアパレルブランドも、だからこそ着物に戻ってくる。そこでコラボ企画が実現したり、ともに着物の世界を高めたいという気持ちが生まれる。そうした思いを大事にして、様々な仕事に携わっています。

――実際のモノづくりでは、どのような工夫をされているのでしょうか。

佐竹 今、私はあえて、昔からある古典的な柄を使わないようにしています。着物を着るシーンが限られてしまうのは、古典の柄にあると思うからです。

考えてみれば、「吉祥紋」「正倉院文様」など古典の柄も、つくられたときは最先端のものでした。いわば、今ある古典の柄は、当時の最先端の願いや思いをかたちにしたものの中から、良いものだけが生き残ったものです。でも、それをそのまま今の若手の作り手が頼っていては、着物も昔のものになってしまうと思うんです。

願い、思い、祈り。着物を着ることで、今ある何かを表現したい。例えば、最近使っているレース柄は、海外の女性がレースのベールを被って祈るように、ヨーロッパ各国、各家に伝えられるものですが、実は、このレース柄は、「厄除け」を意味しています。祈りをささげたり、願いを叶えたいという気持ちを神様にお願いするときに、被るものなのです。そんな思いがとても着物に似ていると思って、使うことにしたのです。

言葉や国が違っても、女性の祈りや願いはすべて一緒です。それを私はかたちにしていきたいと思っています。


自分にしかできないことを
今はやっていきたい

――経営者として、ビジネス上のコミュニケーション、問題解決の仕方でどのようなことに気を付けているでしょうか。

佐竹 できるだけスタッフの自主性を大事にしたいと思っています。他人が、その人のモチベーションをつくることはできません。スキルは教えてあげることができますが、モチベーションを高めるのは、自分でしかできない。その意味で、私は経営者として、働いている人たちが、より楽しく、お客様のために何かしたい、会社のために何かしたいと思ってもらえるようなサポートをしなければならないと思っています。

また、問題解決の際は、いろんな角度から「仕分け」をするようにしています。時間的なこと、資金的なこと、人間関係のこと、将来のこと、あらゆることを仕分けして考えていくと、自然に問題解決につながっていくのです。

――将来の目標を教えてください。

佐竹 着物を着る人を一人でも増やすことです。私が代表選手を辞めても、代わりになる選手はたくさんいます。でも、家業の仕事は、私以外に代わりがいない。だから、自分にしかできないことを今はやっていきたいと思っています。

佐竹美都子(さたけ みつこ)株式会社西陣坐佐織 代表取締役1976年京都市生まれ。99年同志社大学経済学部卒業。2004年アテネオリンピック セーリング競技日本代表。05年より家業の西陣織製造業に従事。12年株式会社西陣坐佐織設立。13年オリジナルブランド「かはひらこ」を立ち上げる。華道 小松流師範、能楽観世流、煎茶道など和の文化にも造詣が深い。

(撮影/今祥雄)