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日本経済はアベノミクス効果で景気回復や賃金上昇が叫ばれているものの、これから先どうなるかは誰にもわからない。将来の不確実性がより高まっている今、必要なのは自分の人生を見つめ直す新しい視点を得ることである。そのキーワードになるのが、「グローバルな視点とパイオニア精神」である。ビジネス、文化、芸術など様々な分野でボーダレス化が進み、新しい枠組みや取り組みがどんどん現出してきている。多様性・感受性を持ち合わせた人物にとっての好機が到来しているのだ。そこで輝くためにはいかに自分自身を磨き、いわゆる「パーソナルブランディング」を行っていけばいいのか。時代の第一線で活躍する人たちに話を聞いた。
都市と農村の新たな関係を築くことで
地域の持続可能性も見えてくる
――現在、どんなお仕事をされているのでしょうか。
信岡 2007年12月に離島である島根県隠岐郡海士町(おきぐんあまちょう)に移住し、翌2008年1月に仲間と株式会社「巡の環」を設立しました。会社の最終的な目標は「島に大学をつくること」です。現在は、海士町を中心に地域のことを学ぶ「地域づくり事業」、学んだことを現地で来訪者に教える「教育事業」、そして、地域の良さを外部に伝える「メディア事業」の3つの事業を軸に活動しています。
私たちが地域のいろんな問題に携わる中で、最も重要な問題として見えてきたのが「過疎は田舎の魅力のなさという問題設定のズレ」です。日本全体が人口減少していくという時代を迎えた今、海士町だけがうまく生き残れるとは限りません。もっと過疎という問題を包括的に取り扱わなければ、島の持続可能性自体も高まらないことがわかってきたのです。
そのため、過疎という問題を単に田舎の問題としてとらえるのではなく、都会と田舎の関係性の問題としてとらえることにしたのです。私たちはそれを「都市農村関係学」として発展させ、問題認識の変化の起点にしていきたいと考えています。
――都市と農村が抱える問題とは何でしょうか。
信岡 国内全体でみると、合計特殊出生率は1.43(2014年)しかありません。実は、この数字は親・子・孫の三世代で個体数が半減以下になるということを表しています。これは生物界ならば、「絶滅危惧品種」に分類されてしまいます。出生率は田舎のほうがまだ高いのですが、一方で経済的に赤字だという問題があります。
そこで私たちは「都会は稼ぎのいいお父さん、田舎は育むのが得意なお母さん」と問題を読み換え、「いかに家族をチームとして運営していくか」を探る学問として「都市農村関係学」を掲げているのです。今は稼ぎだけに特化しているお父さんが家計が苦しくなってきたということで、子育て中のお母さんに向かって「一人分ちゃんと稼げ」といっているようなイメージを持っています。これだと別居で一番寂しい思いをするのは子どもなのだよなぁと。
原点は京都での学生時代
「学生の街」ならではの出会いがたくさんあった
――現在のような考え方に至るまでに、学生時代の影響はありますか。
信岡 今、私がこうして仕事をしているのも、学生時代の友人たちとの出会いがあったからです。同志社大学在学中は、他大学の学生とも交流できるコミュニティに参加して、大学内外問わず、多くの方と知り合うことができました。京都は学生の街であり、自分たちで悩み、考え、活動する場がたくさんあります。「自分がこんなことをしたいんだ」と話すと、「それ、やろうよ」と言ってくれる仲間に巡り合えたことが大きいですね。
――卒業後は、東京のITベンチャーで働き始めましたね。
信岡 立ち上げ間もない会社で、先輩2人と私1人。営業を任されたのですが、東京で働くのも初めて。何をすればパフォーマンスが上がるのか、よくわかりませんでした。入社半年で何も成果を上げられず、自分から制作部門に配置転換を希望し、なんとか成果を上げられるようになりました。
そのうち、誰をどう喜ばせたいのかよりも先にビジネスモデルで利益や上場ばかりを追求する姿勢に、疑問を抱くようになりました。ベンチャーとしてそれは正しいことと思いつつ、自分が目指したい働き方の形とは違うなと思うようになりました。ちょうどそのころ、「持続可能性」や「環境問題」について知る機会があり、次第にその分野に興味を持つようになったのです。
――その後、会社を辞めて、海士町に行ったわけですね。
信岡 退社後、1カ月ほど今後の身の振り方を考えるために、いろいろな勉強会に参加していました。そこで印象的だったのが、ある人の「土日には地球や社会の持続可能性について考えているのに、月から金までは都会で大量生産しているんだよね」という言葉でした。
「なぜ会社を辞めないのですか」と聞いたら、「本当は田舎で働きたい。でも田舎には雇用がないからね」。そう答えるのです。
以降、「持続可能性を高めるには、田舎で雇用を増やさないといけない」。それが自分の問題意識となりました。もし田舎に大学をつくるというプロジェクトを立ち上げれば、雇用をつくりながら、学びの仲間も増えていくのではないか――。そんな考えのもと、海士町での仕事をスタートさせたのです。
――なぜ海士町だったのですか?
信岡 海士町の町長である山内道雄さんの著著『離島発 生き残るための10の戦略』を読んだことがきっかけでした。調べてみたら友人がすでに行っていることを知り、話を聞きに行ったのです。縁もゆかりもない土地でしたが、訪問後、移住を決め、起業するまで約4カ月の間の出来事でした。
目指している未来が同じなら
プロジェクトは止まらない
――活動が軌道に乗り始めたのはいつごろですか。
信岡 いすゞ自動車の企業風土改革を担当され、全国で「五感塾」という学びの機会づくりをされている北村三郎先生という方がいらっしゃいます。北村先生は、「気づきというものは、現場に行かないと得られない。オフィスの中にいても、人間力は高まらない。現地に行って、自分たちで気づくことが大事だ」と提唱されています。
北村先生が海士町のことを知られて、五感塾を開催する現場として海士五感塾を弊社でコーディネートさせてもらって開催した際、多くの参加者から好評価を得ました。それがきっかけで企業研修を始めることになり、事業の柱をつくることにつながったのです。このほか現在では、東京を中心としたメディア活動や、行政との共同プロジェクト、都市と農村をつなげる体験イベントなどが主な事業収入となっています。
――社会貢献活動をビジネス化していくのはなかなか難しいことだと思います。困難に陥ったとき、リーダーとしてどう行動しているのでしょうか。
信岡 自分自身は本を読んで知識を深めていって、自分が陥っている視点以外の新しい視点を増やしていくことで乗り越えようとしています。また、海士町には島のことをよく考えているしっかりした先輩たちも多く、悩みを聞いてもらったり、アドバイスを受けたりもしています。
そのせいか、自分はリーダーというよりは、仲間と一緒にやっているという感覚でいます。もし揉め事があっても、目指している未来が同じなので、「この仮説はうまくいったけれど、ここはうまくいかなかった」と対話しながら進めていけばプロジェクトはストップしません。そのため消耗感は少ないですね。
また中学時代から新島襄さんの教えを学んできたこともあり、新島襄さんの影響を強く受けています。彼の「自治・自由」のコンセプトや、教育は国家百年の大計であるという考え方は今、私たちが島に大学をつくろうとしている考えと、非常に似ているのです。その意味で、今でも新島襄さんから学ぶことは多いと思っています。
――コミュニケーションの取り方として、気をつけていることはありますか。
信岡 「楽しそうにやっていること」ではないでしょうか。私たちは「都市農村関係学」というコンセプトで活動していますが、重要なことは「一緒に見たくなる未来をどうつくるか」だと考えています。常に意識しているわけではありませんが、活動を広げるには、ある考えを共有・共感できるコンセプトづくりが必要だと考えています。共感してくれる人たちが集まれば、後は僕も相手もフラットな関係で一緒に動いてくれるのだと思います。
都市と地方の文化拠点になる
「島の大使館」をつくりたい
――人口減少が進む日本の将来について、どう考えていますか。
信岡 この先、社会は大きく変動していきます。例えば、日本の人口構成の最大のボリュームゾーンである団塊の世代が2025年、75歳を迎えます。彼らの大半が引退することで、地方を支えてきた分厚い層がなくなってしまうのです。その結果、人材の枯渇、社会保障の問題がより鮮明に浮かび上がってくると考えています。
さらに2040年は世界の人口爆発が止まるタイミングだと想定されています。そうなると世界中で経済成長のエンジンとなる成長市場がなくなってしまうと言われています。そのときになってから地球の持続可能性を考えても遅い。その意味で、2040年までになんとか問題を解決しなければならないと思っています。
――ご自身の活動の将来について、どう考えていますか。
信岡 5年後をメドに、都市と地方の関係性を考えるための文化交流拠点をつくりたいと思っています。「島の大使館」というコンセプトを実践するための施設がほしいのです。
「都市の人にとっても農村の人にとっても望ましい未来をつくるために、どういう関係に変わっていきますか」。こうした問いかけをさらに多くの人に投げかけ、広く議論したいと考えています。
――ビジネスパーソンの方々にメッセージはありますか。
信岡 既存の価値観は、人口増加を前提に考えられたものなので、人口減少時代の価値観を私たちはまだ知りません。夏の快適な過ごし方はわかるけれど、これからは冬の快適な過ごし方を知らなければならないのです。
価値観の変わり目には、いろいろな問題が噴出してくるでしょう。でも、そのときに夏はあんなに楽しかったと、過去に浸るのはやめて、違う時代が来ることを一緒に直視したい。そこから、この人口減少時代に備えるための行動を起こしてほしいと思っています。
(撮影:今祥雄)