『三国通覧図説』は海防の必要性を世に広めることになったが、作者の林子平が幕政批判で処罰されると、市兵衛も重過料の処罰を受けることになった。『三国通覧図説』も禁書絶版にされてしまったが、のちに小笠原諸島帰属問題が争われたときには、有力資料として活用されることになる。作者の林子平とともに、出版に踏み切った市兵衛の先見性にも驚かされるばかりである。
蔦重と似ているメリハリ重視の経営スタイル
須原屋一門が主に公的な書物を多く手がけたことを思うと、市兵衛のアウトローぶりが際立つが、実はカテゴリーでいえば「俳諧」の出版物が最も多く、その費用については、編者や入選した作者によってまかなわれていた。いわゆる自費出版だ。
そして享保から宝暦にかけて徂徠学が流行し、漢学への関心が高まると、それに応えるように、漢詩・漢学の出版物を数多く出しているほか、書道の手本や寺子屋に必要な往来物など、手堅いラインナップで着実に利益を上げた。そのほか、やはり市場がある程度見込める医学書や絵画(絵手本)の刊行も行った。
思えば蔦重も、確実にニーズがある往来物を手がけながら、ブームに乗じた富本節の正本や狂歌本の指南書を刊行するなど、「守りの経営」については、市兵衛とスタンスがよく似ている。
そうして稼げるところでしっかり稼いでいたからこそ、市兵衛な画期的な学術書を打ち出せたし、蔦重はあれだけ多彩な「黄表紙」や「洒落本」を手がけて、大ヒットを生み出すことができたのだろう。
【参考文献】
松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(講談社学術文庫)
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら