本の仕事を好んだのは、本屋に生まれたことと無関係ではないだろう。蔦重とは『一目千本』以来、数多くの仕事を一緒にしている。
『解体新書』や『三国通覧図説』で読者の度肝を抜く
須原屋市兵衛は宝暦12(1762)年に建部綾足(たけべ・あやたり)による『寒葉斎画譜』(かんようさいがふ)を刊行したのを皮切りに、300冊以上の本を出版。宝暦13(1763)年には、『物類品隲』(ぶつるいひんしつ)を刊行した。薬品会の出品物から360種の自然物を厳選して分類・解説したもので、作者はあの平賀源内だ。
市兵衛はそれからも源内に注目したようだ。何か面白いことはないかと常にアンテナを張っている源内は『物類品隲』を発刊した翌年の宝暦14(1764)年には、奥秩父で採取した石綿(アスベスト)に着目。
燃えない布「火浣布」を創ると、その成果を宝暦15(1765)年『火浣布略説』にまとめて、須原屋市兵衛のもとで出版した。
まだ誰も知らないことを本として紹介したい。市兵衛はそんな思いが強かったのではないだろうか。
安永3(1774)年には、あの『解体新書』を刊行。日本初の本格的な西洋解剖学書の翻訳書を手がけた。翻訳の労をとった前野良沢、杉田玄白、中川淳庵(じゅんあん)、桂川甫周 (ほしゅう)らとともに、市兵衛の貢献も大きかったといえるだろう。

その後、軍事地理書として注目されたのは、林子平が天明5(1785)年に 書いた『三国通覧図説』(さんごくつうらんずせつ)だ。日本本土と琉球・朝鮮・蝦夷3国および小笠原諸島の地図5枚に、地理や風俗についての解説が加えられた1冊である。
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