高校卒業後は自宅から通いやすい成蹊大学に進学。大学生活は「とにかく授業に出なかった」。アルバイトやバンド活動に明け暮れる日々を過ごした。
「大学4年のとき、内定先に出す『卒業見込み証明書』を大学にもらいに行ったら、単位が足りず発行してもらえなかった」くらい単位はギリギリだった。
無事卒業し、新卒で富士フイルムのグループ会社に就職。ただ、剱持さんは早々に退職する道を選んだ。

理由は「会計士を目指すため」。20代後半から30代前半のおよそ10年間、専門学校に通いながら、派遣やアルバイトでいくつもの職場を転々としながら生計を立てていた。
なぜ、突然会計士を目指すことにしたのだろうか。
「これも、完全に父の影響ですね。父は世界6大会計事務所の1つで活躍したこともあり、『会計士の資格はいい』と常に聞かされていたんです。学歴の代わりに父の認める資格を取って、資格で自分を飾りたかったんだと思います。『会計士に受かればバラ色の人生が待っている』と思っていましたが、結局試験には受かりませんでした。簿記1級くらいは取りましたけどね」
この頃、女性との出会いもゼロではなかったが「会計士に受かってからじゃないと家庭は持てない」と、自分にブレーキをかけていたという。
「当時は『資格勉強が恋人だったんだ』って、今は妻に話しています」と笑って話す。
「人事部への異動」が転機に
30代も後半になり、派遣やバイトと資格勉強を両立する生活に一旦区切りをつけた。地元メーカーの経理部門に採用されたが、入社早々、人事部に異動することになった。
「もともとは会計の知識を活かしたくて経理に入ったので、それを聞いたときは『ふざけるなよ、経理をやらせてくれよ』と正直思いました。でも、そこからはずっと人事畑です。僕は数字より人と接するほうが好きで、向いていることに気づきました」
順調な会社員生活を送っていた剱持さんだったが、2008年に起きたリーマンショックの影響で剱持さんの会社も経営危機に陥った。多くの社員が会社を去り、剱持さんも不本意な異動を命じられたことで転職を決意。
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