「第2次世界大戦を変えた男」の"その後の運命" 戦争犯罪の責任を問われた「天才作戦家」マンシュタイン
かかるマンシュタインの振る舞いには、ドイツ人ジャーナリストのラルフ・ジョルダーノも失望を禁じ得なかった。その感想を引用しよう。
「私はジャーナリストとしてこの裁判を傍聴した。フォン・マンシュタインの弁護態勢は鉄のように固かったが、まったく信用するに値しないものだった。自分が直接危険にさらされていると感じても、記録文書で証拠がない場合には『記憶にございません』と言ったり、そっけなく否定した。
彼自身が発した命令が裁判所に提出されて有罪の心証が避けがたい場合などには、自分の役割を過小評価したり弱めたりする。彼に好都合と思われた時には、事情次第で責任を上や下に押しつける。私はこの見すぼらしく、いつも言い訳や逃げ口上を考える人物、かつては大軍の将であった者が、ローテンバウム大通りのクリオ・ハウスの中の法廷被告席で見せたあの姿を、決して忘れないだろう」(ジョルダーノ)。
辛辣きわまりない評価であるけれども、ジョルダーノの驚愕と嫌悪がよく伝わってくる文章であろう。
かつては大軍の将だった
まさしく、マンシュタインは「かつては大軍の将」であった。それどころか、第二次世界大戦で、軍人としての名声をほしいままにした将軍だったのだ。
参謀としては、第一次世界大戦では約4年の歳月を費やしても屈服させることができなかったフランスを、およそ1カ月で降伏に追い込んだ作戦計画を立案している。
軍団長としては、装甲部隊運用の名手であるハインツ・グデーリアン将軍をも顔色なからしめるような機動戦を展開した。
軍司令官としては、黒海の大要塞セヴァストポリを陥落せしめた。軍集団司令官としては、圧倒的なソ連軍を相手に、巧緻な作戦を武器として、みごとな防御戦を進め、ときには信じがたいほどの打撃を敵に与えた……。
もしマンシュタインが19世紀の軍人であったなら、おそらくは卓越した指揮官として称賛され、その名声は後世までも語りつがれたにちがいない。しかし、マンシュタインがのぞんだのは、19世紀のいくさではなく20世紀、第一次世界大戦で戦争の性格がドラスティックに変化したのちのことだった。
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