「第2次世界大戦を変えた男」の"その後の運命" 戦争犯罪の責任を問われた「天才作戦家」マンシュタイン

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「これらは、おそらく至上類例のない、あらゆる種類の犯罪が継続的に実行されたという記録、その実例であります。いかようにみても、その責任は、主として被告にある。たとえ、もし彼が、自分は単に有能な軍人であったにすぎず――実際、そうであったことは疑いありません――数年にわたって、彼が指揮を執ったさまざまな地域で進められた大量殺戮や集団虐待といったことどもに関わるひまなどないほどに多忙であったと、判士のみなさんに納得させることができたとしても、責任はあるのです。われわれの申し立てに情状酌量の要素はありません」。

しかるのち、検察団は、自らの主張を裏付けるために山と集めた証拠文書を朗読した。この作業には、審理日にして20日間を要した。

この苛烈な告発に対するマンシュタインの防御は、彼が戦争中に東部戦線で示したがごとき巧妙さに欠けるものだった。マンシュタインは、おのが戦争犯罪への関与を示す証拠には知らぬ存ぜぬで通し、責任逃れに終始したのだ。

ユダヤ人絶滅に賛意を表す文言にも署名

とくに、1941年11月20日付でドイツ第11軍に出された命令を突きつけられた際の動揺は激しかった(以下、枢軸側の部隊番号はアラビア数字、連合軍側のそれは漢数字で記して、区別の便宜をはかることにする)。

その命令書には、「ユダヤ・ボリシェヴィキ体制に対する戦争のもっとも本質的な目標は、彼らの権力手段を完全に破壊し、ヨーロッパ文化へのアジア的影響を撲滅することにある」、「もし、軍が管轄する後方地域で孤立したパルチザンが火器を使用しているのを発見したならば、徹底的な手段が取られるべきだ」といった、ユダヤ人絶滅に賛意を表し、住民殺害を示唆したと取れる文言が含まれていた。にもかかわらず、マンシュタインは軍司令官として、それに署名していたのだ。

高等軍法会議を傍聴していた記者は、「検察側が当該文書の写しを示すと、エーリヒ・フォン・マンシュタインは、居心地悪げにもじもじしていた」と、『ニューヨーク・ヘラルド』紙で報じている(メルヴィン下巻)。しかも彼は追及に対し、当初、この文書に関してはまったく覚えていないと応じたのであった。

エーリヒ・フォン・マンシュタイン
エーリヒ・フォン・マンシュタイン(写真:Ullstein bild/アフロ)
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