経営危機の部品メーカー・河西工業、「日産出身」社長が語る経営再建、四半世紀前との違い、日産が求める「中国ベンチマーク」とは
――古川社長は日産、ジヤトコを経て、2024年11月に河西工業の社長に就任しました。古巣でもある日産の現在の状況をどう見ていますか?
日産出身ということもあり、大変複雑な思いだ。これまで何度も危機はあった。1999年、カルロス・ゴーン時代の「日産リバイバルプラン」も経験したし、その後もリーマンショックや東日本大震災、タイの大洪水、ゴーンショック、コロナ禍もあったがなんとかしてきた。今回も乗り切ってほしい。
――四半世紀前と現在の違いは。
「日産リバイバルプラン」は、もともと3年計画だったが2年で目標を達成した。なぜうまくいったかというと、当時は為替や鉄などの材料価格が安定していたからだ。経済環境は悪くなかった。また、サプライヤーが必死になってついてきたことが大きい。日産系のサプライヤー各社は1999~2001年頃までは赤字だったが、みなさん猛烈なコスト改善をやられて、多くが2002年頃には黒字に回復した。
当時、私は購買担当の課長をしていた。フランスのルノーの価格をベンチマークにして、取引先を訪問して「世界の標準からいくと申し訳ないけど、このくらいの価格で買えるんです。下げる余地があるので一緒に下げませんか」という話をしていた。それができなかったら日産のサプライヤーから外れてもらう、という話もあった。
結果的に日産から見ると「うそだろう」っていうぐらいに購入品、材料の値段が大きく下がった。
――日産は今回もより少数のサプライヤーに取引を集約すると言っています。
前回は、最終的にサプライヤー数削減を目標にするのはやめよう、となったが……。
ただ今の日産は、さすがに当時のようなアプローチはできないだろう。先日、日産は部品会社向けの説明会を開いたが、「価格を10%下げてください」とは言わず、共同活動と言っている。私は社内で「ウィンウィンを目指す」と言っている。日産向けのプライス、日産側から見たらコストを下げて利益が確保できるやり方が必ずあるはずだ、と。
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