重要な市場が競争的でないのは明らかだったのに、本質的に市場は常に競争的であり、価格設定力を持つ企業は存在しないと決めてかかった。その大半の研究において、情報は完全であるか、少なくとも市場は情報効率的であるという前提に立ち、情報を持つ人々から情報を持たない人々へ、あらゆる関連情報が費用もかけず即座に伝えられ、それが集約されて価格に完全に反映されると見なしていた。
これらはみな、市場経済の効率性に関する望ましい結果を引き出すための、都合のよい思い込みに過ぎない。これらはまた、別の意味でも都合がいい。2人には、情報が不完全な市場の分析に必要な数学的ツールがなかったからだ。
ところが、より高度なツールに基づく分析の結果、市場が情報効率的でないこと、情報効率的ではありえないことが証明された。すると、この2人やその陣営に与する人々は見て見ぬふりをした。市場に対する無限の忠誠とは異なる結論につながるような分析には、関与しようとしなかった。
社会を独裁主義に向かわせてきた「小さすぎる政府」
フリードマンとハイエクは、資本家たちの思想的しもべだった。政府の役割や共同行動の縮小を望み、世界大恐慌(金融政策の不適切な運営)など、経済の失敗と思われるあらゆる出来事を政府のせいにした。
そして、どのような経済状態がファシズムや共産主義につながったのかという歴史的現実を無視し、自由市場に対する政府介入こそが全体主義につながると主張した。
だが、実際にポピュリズムを生み出し、繰り返し社会を独裁主義へと向かわせてきたのは、大きすぎる政府ではなく、小さすぎる政府(その時代の重要問題に対して十分な対処をしない政府)なのである。
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