だが、フリードマンのような保守派の経済学者は、自身のイデオロギーに傾倒するあまり、これらの基本的な理論的結果を受け入れようとしなかった。
私は1960年代後半に、シカゴ大学で開催したセミナーでフリードマンと対談するにあたって、市場は効率的にリスクに対処できないことを証明してみせたことがある。私が一連の論文を通じて立証したその結果は、執筆から半世紀がたったいまも論破されていない。
そのときの対談は、間違っているのは私であり、市場は効率的だというフリードマンの主張から始まった。そこで私は、自分の証明のどこに誤りがあるのかを指摘するよう相手に要請した。ところがフリードマンは、自分の主張や市場信仰に立ち返るばかりで、結局対談は行き詰まってしまった。
自然淘汰で非効率的なものを排除できるのか
フリードマンより時代は古いが、ハイエクの論法はさまざまな点でもっと巧妙である。ハイエクは進化論思想に影響を受けていたらしく、生存競争を通じて「最適」な企業(消費者のニーズに合わせることにもっとも成功した効率的な企業)が何らかの形で生き残ることになると論じた。
だがその分析は完璧にはほど遠く、進化プロセスは望ましい結果をもたらすのではないかという「希望」(あるいは信念)に基づいている。それにダーウィン自身も、そうではないかもしれないことに気づいていた。実際、孤立したガラパゴス諸島での実験では、それとはまったく異なる、ときにはむしろ奇妙な進化の結果が示されている。
現在では、進化のプロセスには目的がないことがわかっている。これを経済的観点から言えば、進化のプロセスにより、経済全体が長期的な動的効率性を獲得する見込みはまったくない。
それどころか、この考え方にはよく知られた欠点がある。前の段落で挙げた主要な失敗は、そのなかでもきわめて明白なものに過ぎない。自然淘汰は、常にもっとも非効率的なものを排除するとは限らない。景気の悪化により倒産した企業のなかには、生き残った企業と同じぐらい効率的だった企業も多い。それらの企業はただ、負債が多かっただけなのだ。
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