管理職は罰ゲームなのか? 損な役回りの「総合雑務責任者」から組織を支える「優れたリーダー」に変わるたった1つの方法!

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老子が批判した「為(しすぎること)」の弊害──それが現代の組織における“過剰マネジメント”の病理そのものなのかもしれません。

縁の下の力持ちは誰よりも尊い役割

老子の教えには現代に通じる示唆があります。たとえば、こんな言葉があります。

江海(こうかい)は百川を王とす。能(よ)く其の下に善くすればなり。
(海が多くの川の水を集められるのは、自らが低いところに身を置くからだ)

リーダーは、自らを上に置くのではなく、むしろ他者の下に身を置くことで、自然に人を惹きつけ、支える存在になる。これはまさに、現代の管理職が直面している「縁の下の力持ち」的な役割と重なります。

本来、それは“損な役回り”ではなく、組織の中枢を支える重要な徳性です。ところが、現代の制度や評価システムは、それをきちんと称える構造になっていません。だからこそ、意義のあるはずの役割が、「罰ゲーム」と揶揄されてしまうのです。

もちろん、制度面の改革も不可欠です。成果主義の見直し、心理的安全性を育む文化、役割に応じた報酬体系など、やるべきことは多くあります。
しかしそれと同時に、私たち自身の「上に立つとはどういうことか」という意識そのものも問い直さなければなりません。

管理職とは、単に名誉を得ることでも、報酬を上げることでもなく、本来は「より広く人を活かす力を引き受けること」であったはずです。

老子の言葉に学ぶなら、管理職とは「水のように低きに身を置きながら、組織全体を潤す存在」。それは本来、誰よりも尊い役割です。

いま一度、リーダーシップの意味を原点に立ち返って見つめ直す──そのことが、「罰ゲーム」と化した管理職を救う第一歩になるのではないでしょうか。

原田 勉 神戸大学大学院経営学研究科教授

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はらだ つとむ / Tsutomu Harada

1967年京都府生まれ。スタンフォード大学Ph.D.(経済学博士号)、神戸大学博士(経営学)。神戸大学経営学部助教授、科学技術庁科学技術政策研究所客員研究官、INSEAD客員研究員、ハーバード大学フルブライト研究員を経て、2005年より現職。専攻は、経営戦略、イノベーション経済学、イノベーション・マネジメントなど。大学での研究・教育に加え、企業の研修プログラムの企画なども精力的に行っている。主な著書に、『OODA Management(ウーダ・マネジメント)』(東洋経済新報社)、『イノベーション戦略の論理』(中央公論新社)、『OODALOOP(ウーダ・ループ)』(翻訳、東洋経済新報社)などがある。

 

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