老子が批判した「為(しすぎること)」の弊害──それが現代の組織における“過剰マネジメント”の病理そのものなのかもしれません。
縁の下の力持ちは誰よりも尊い役割
老子の教えには現代に通じる示唆があります。たとえば、こんな言葉があります。
リーダーは、自らを上に置くのではなく、むしろ他者の下に身を置くことで、自然に人を惹きつけ、支える存在になる。これはまさに、現代の管理職が直面している「縁の下の力持ち」的な役割と重なります。
本来、それは“損な役回り”ではなく、組織の中枢を支える重要な徳性です。ところが、現代の制度や評価システムは、それをきちんと称える構造になっていません。だからこそ、意義のあるはずの役割が、「罰ゲーム」と揶揄されてしまうのです。
もちろん、制度面の改革も不可欠です。成果主義の見直し、心理的安全性を育む文化、役割に応じた報酬体系など、やるべきことは多くあります。
しかしそれと同時に、私たち自身の「上に立つとはどういうことか」という意識そのものも問い直さなければなりません。
管理職とは、単に名誉を得ることでも、報酬を上げることでもなく、本来は「より広く人を活かす力を引き受けること」であったはずです。
老子の言葉に学ぶなら、管理職とは「水のように低きに身を置きながら、組織全体を潤す存在」。それは本来、誰よりも尊い役割です。
いま一度、リーダーシップの意味を原点に立ち返って見つめ直す──そのことが、「罰ゲーム」と化した管理職を救う第一歩になるのではないでしょうか。
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