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「勝敗ラインの“与党過半数維持”は微妙な情勢」。迫る参議院選挙。1989年の自民党大敗が示唆する石破政権の命運

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―――参議院での過半数割れと言えば、1989年の選挙が思い出されます。当時火を噴いたのが、リクルート事件を受けて辞任した竹下登氏の後任として首相となったばかりの宇野氏の女性スキャンダルでした。宇野氏が神楽坂の芸者だった女性の3本の指を握って「これでどうだ」と愛人関係を迫ったとされました。

この時、私は新潟市に知事選挙とそれに続く参院補欠選挙の応援で入っていたが、市内中心部で自民党の候補が街頭演説をすると、女性たちが宇野氏の女性問題に抗議するプラカードを掲げて抗議に押しかけてきた。リクルート事件を受けて宇野氏はクリーンさを買われて首相になったのに、女性スキャンダル一色になってしまった。

以前であれば、政治家の女性問題はそれぞれが節度を持っていれば良いとされ、マスコミも国会も取り上げるようなことはなかった。この年の6月にスキャンダルをスクープしたのは鳥越俊太郎編集長(当時)のサンデー毎日だったが、毎日新聞の社内では議論もあったと聞いている。

しかしこの時の女性たちの怒りは凄まじく、宇野氏が来ると票が逃げるということで参院選の告示日に首相がどこにも街頭に立てなかった。自民党本部で内輪の出陣式に出ただけで、あとは官邸に籠ってしまった。

昭和型選挙の終焉

くめ・あきら 1954年愛知県東浦町生まれ。大学中退後、業界紙記者を経て1980年から自民党職員。2002年党選対事務部長、2011年から事務方トップの事務局長兼任。2019年に定年退職。現在、選挙・政治アドバイザーとして活躍 (撮影:今井康一)

――選挙戦では社会党の土井委員長の人気がすごく、集会には1万人が集まり涙を流して演説を聞く女性もいたと当時の報道にあります。「マドンナ旋風」に対抗すべく自民党も比例の名簿第一位に女性候補を立てました。

確かに土井ブームによる熱狂はすごかった。だからといって自民党の比例名簿で女性を1位に持ってきたぐらいでは、有権者の反応はほとんどない。政党そのもののイメージが問われていたわけだから、そんな手ではどうにもならない。

自民党支持者でも自分の奥さんから「自民党はダメよ」と相当言われたのではないか。当時の自民党支持層の半分くらいしか固め切れなかった。自民党が自民党支持層を固められない時が、一番の負けパターンだ。

さらに、自民党の必勝法だった企業団体選挙がこのあたりから通用しなくなってきた。有権者が自分の意思で考えるようになり、社長が決めたからと言って自民党に投票しない。この年は昭和から平成への代替わりにあたる年でもあったが、元号が変わると不思議と人々の意識も変化する。自民党が得意とした昭和的な組織選挙から、個人の意思が反映される新しい時代の選挙へと変化が始まっていたが、そこに対応できていなかった。

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