【朝ドラ あんぱん】やなせたかし「軍隊検査官」の酷い一言 ひとりぼっちのやなせは泣きながら「脱走宣言」を漏らす

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才能のあるさまざまなクリエーターとの出会いも、大いに刺激になったらしい。春日八郎が歌う「赤いランプの終列車」の作詞家となる大倉芳郎や、子ども向けの漫画で多数連載を持つことになる益子かつみなど、のちに芽が出るクリエーターたちとも、やなせはこの職場で出会っている。

もちろん、上を見ればキリがない。『フクちゃん』の作者である横山隆一、政治家の似顔絵を得意とした近藤日出造(こんどう ひでぞう)、『かっぱ天国』を連載した清水崑、先駆的SF漫画『ふしぎな国のプッチャー』や『冒険ターザン』で知られる横井福次郎などが、華々しく活躍するのを横目にしつつ、やなせもまた、自分なりに漫画とかかわることができていることに、喜びを感じていたようだ。

「中学生時代、一度漫画家にあこがれたぼくは、グラフィック・デザイナーかCMイラストレーターのような仕事をすることになったが、ここでまた漫画とめぐり逢うこととなる」

しかし、やなせが入社2年目を迎えることはなかった。1941(昭和16)年、やなせのもとに届いたのは、召集令状だった。

「一身を捧げても泣く者はいない」

「(徴兵検査を)東京で受けるか、郷里の高知で受けるか、考えました。田舎のほうが、みんな体格がよくて、もしかしたら合格しないかもしれない。合格したくなかったんです」

そんなふうに考えたやなせは、郷里の高知県で徴兵検査を受けている。結果は……第一乙種で合格。近眼だということくらいで、とりたてて健康に問題はなかった。日中戦争が泥沼化するなか、やなせは不本意ながら22歳で軍隊に入る。

しかも、入隊が決まったのは高知ではなかったという。

「それで入ったのが、九州の小倉にあった野戦重砲の七三部隊。勇猛なので名を売っている部隊でした」

朝ドラ あんぱん アンパンマン やなせたかし
現在の小倉(写真:TOKO / PIXTA)

九州小倉には、知人もいなければ、土地勘もない。やなせの境遇から、特にどこの部隊でもよかろうと考えられたフシがある。やなせの身上調査票を見た検査官から、こんな言葉をかけられたのだという。

「貴様は父も母もなく、弟は養子に出て、戸籍ではたったひとりか。国家のために一身を捧げても泣く者はいないな。心おきなく忠節をつくせ。おめでとう」

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