『御存商売物』は、青本、赤本、黒本、そして人気の黄表紙や洒落本など、当時の江戸で流通していた書籍が擬人化して登場。出版業界の動向を面白おかしく読める本となっている。

よほど気に入ったのだろう。大田南畝は黄表紙評判記『岡目八目』において、15人の作者のなかで、京伝を4番目に挙げている。上位3人が朋誠堂喜三二、恋川春町、芝全交だったことを思うと、名だたるヒットメーカーに続いて、京伝は有望視されたということになる。
しかも、南畝は「画工の部」において、鳥居清長に次いで「北尾政演」の名を挙げている。戯作と絵をともに認められた京伝は、天にも昇る気持ちだったに違いない。さらに南畝は『(手前勝手)御存商売物』を戯作の部でランキング最高位につけた。わが世の春、とはこのことだろう。『京伝』の号を使用したのもこの頃のことだ。
蔦重もその才に注目して動き出す。恋川春町の日記によると、同年の暮れ、天明2(1782)年12月17日に、酒宴の席に京伝を招待している。それから2年後には、蔦重は京伝の作品集を刊行。翌年の天明5(1785)年、24歳のときには『江戸生艶気樺焼』(えどうまれうわきのかばやき)を発表し、大ヒットを飛ばした。
後世に影響を与えた数々の作品
『江戸生艶気樺焼』の内容は、ルックスはイマイチなのに自惚れだけはやたらと強い金持ちのボンボンが、遊び仲間たちに相談しながら、イケてる男になるべく、バカバカしい努力を重ねるというものだ。

井上ひさしが1972年に直木賞をとった小説『手鎖心中』は江戸時代を舞台にしており、蔦重や山東京伝も登場。ストーリーは、絵草子の作者にどうしてもなりたい若旦那が、自分から父親に勘当を申し出たり、心中騒動を巻き起こしたりするというもので、『江戸生艶気樺焼』のパロディだと作者自身が語っている。
その後も京伝は数多くの作品を蔦重のもとで出版する。寛政2(1790)年に出した『心学早染草』(しんがくはやそめぐさ)では、人間の行いはすべて心の内にある「善魂(ぜんだましい)」と「悪魂(あくだましい)」によるものだとしている。

『心学早染草』では、心の中の葛藤をふんどしや袴姿で、顔に「善」「悪」の文字を描いた特徴的なキャラクターで表現。これが「善玉」「悪玉」として大人気になり、その後の戯作や浮世絵、そして歌舞伎の世界にも影響を与えることなった。
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